ベッシー・スミスを偲んで〜ブルースの女王と呼ばれた伝説的な黒人歌手の足跡と功績
1937年9月26日、「ブルースの女王」と呼ばれた伝説的な歌手ベッシー・スミスが、巡業の途中、ミシシッピー州コアホマ付近で交通事故に遭い死亡した(享年43)。 亡くなった当時、人気の絶頂にあった彼女の葬儀は派手に行われたらしいが、なぜか夫が墓石を買い供えるのを拒んだため、墓石は無いままだった。...
View Article伝説の白鯨になった男〜稀代のドラマー“ボンゾ”の神がかったプレイに酔いしれて
ロックファンの間で、“ボンゾ”の愛称で広く親しまれたレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナム。ロック黄金期(60〜70年代)の音楽をかじった経験のある人なら、必ず知っていると言っても過言ではない“伝説のドラマー”である。 ロックミュージックにおいて考えられるドラムパターンは、彼が生前に叩き尽くしたとまで言われ、ミュージシャンの間では今でも崇拝されている存在だ。...
View Articleパリの歌〜巴里の空の下セーヌは流れる
「パリの空の下」は、フランスの名画『望郷』で知られる映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエによる1951年の映画『Sous Le Ciel De Paris(邦題:巴里の空の下セーヌは流れる)』の主題歌である。...
View Article別れのブルース〜日本初の“ブルース歌謡”の誕生秘話と、淡谷のり子が経験した特攻隊員たちとの悲痛な別れ
特攻隊の慰問にいったときのこと。白鉢巻をした兵隊さんがいっぱいいるんですよ。ちょっと横を向いたら2~30人もいたでしょうか.中には子供みたいな兵隊さんもいるんですよ。まだ15~6歳ぐらいの。だから私、係りの人に訊いたんです。...
View Article喝采〜ちあきなおみが歌った“悲しみの名曲”の誕生秘話
「喝采」は、歌手・ちあきなおみの13枚目のシングル曲として1972年9月10日に発売された楽曲である。当時25歳だったちあきは、この曲で『第14回日本レコード大賞』の大賞をはじめ、その年の賞という賞を総なめにした。リリースから3ヶ月でのレコード大賞受賞は史上最短記録だった。...
View Articleビル・エヴァンス27歳〜ジャズピアニストとしての成長、トニー・スコットの影響、そしてマイルス・デイヴィスとの出会い
ビル・エヴァンスは、27歳を迎えた1956年頃を境に、ジャズピアニストとしての腕をめきめきと上達させたと言われている。一体どうしてこの時期だったのだろう? その“成長”には、クラリネット奏者トニー・スコットからの強い影響があった。...
View Articleクリッシー・ハインド27歳〜ハイスクール時代に描いた夢を10年後に叶えた彼女のロックな履歴書
クリッシー・ハインド。ロック界の姉御的存在として常に第一線で活躍してきた彼女は、27歳で大きな転機を迎え、翌年にプリテンダーズとしてデビューを果たした。 プリテンダーズはイギリスのロンドンで生まれたバンドにも関わらず、クリッシーはアメリカ北部オハイオ州アクロンの出身だ。故郷で過ごした高校時代はダンスやデートに行ったこともなく、恋人もいなかった。...
View Articleナンシー梅木を偲んで〜日本人唯一のオスカー女優が残した歌声と足跡
「8月28日、日本人俳優として唯一アカデミー賞を受賞したナンシー梅木(享年78)が闘病の末この世を去った。」 2007年9月5日、アメリカのワシントンポスト紙が女優の訃報を伝えた。ミズーリ州オザークのリッキングにある医療保養施設で静かに息を引き取った。死因は癌だった。...
View ArticleAlison〜ウディ・アレンの映画のような傑作ラブソング
エルヴィス・コステロ。本名はデクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナスという。1954年8月25日、ロンドンで生まれた彼のステージネームは、憧れのエルヴィス・プレスリーと父方の祖母の旧姓に由来している。 血統(ルーツ)でもあるコステロの姓は、アイルランド系に多い苗字。ミュージシャンだった父親がもらってくる大量の試聴用レコードに囲まれて育ったコステロ少年は、幼少から音楽に慣れ親しんでいた。...
View Articleペッパー警部〜ピンク・レディーの快進撃
1976年の8月25日、ピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューした。斬新な歌詞と覚えやすいメロディー、セクシーな衣裳と大胆な振り付けで、1970年代後半の歌謡界を席巻した彼女たちの足跡をあらためてご紹介します。...
View Articleジーン・シモンズ27歳〜KISSの成功、パティ・スミスの平手打ち、憧れのビートルズを追いかけて…
ジーン・シモンズ。1970年代に一世を風靡したハードロックバンド、KISSのベーシスト兼ヴォーカリストとして活躍してきた“ロック界の怪人”だ。 1974年にデビューして以来、KISSの楽曲の作詞・作曲を多く担当し、コンサートにおいては火吹きや血を吐くパフォーマンスなど、演出面でも大きく貢献してきた才人としても知られている。...
View ArticleKISSのジーン・シモンズが初めて火を吹いた日
1973年9月下旬、キッスがデビューアルバムのレコーディングをニューヨークでスタートさせた。54丁目とブロードウェイが交わる場所にある、ベル・サウンド・スタジオという小汚い二流スタジオだった。 ジーン・シモンズは当時のことを鮮明に憶えていた。 「スタジオでの仕事はてきぱきと進められた。俺たちは全員同じ部屋に入ってかなりの速さで録音を終えた。あの時はほとんどオーヴァーダブもやらなかった」...
View Articleルイ・プリマを偲んで〜スウィングジャズの代名詞「Sing Sing Sing」を生んだ稀代のエンターテイナー
1978年8月24日、スウィング・ジャズのパイオニア的存在だったルイ・プリマがニューオーリンズの病院のベッドで息を引き取った。享年67。 スウィング・ジャズには「王様」と呼ばれた二人の男がいた。一人はクラリネット奏者でありビッグバンドを率いたベニー・グッドマン。もう一人はトランペッターでありヴォーカリスト、そして作曲家として活躍したルイ・プリマ。...
View ArticleすみれSeptember Love〜まさに“新しい波(ニューウェイヴ)”を起こした土屋昌巳の才能と功績
「すみれ September Love」は、土屋昌巳(当時30歳)率いる一風堂が1982年7月21日に発売した6枚目のシングルである。当時、最先端のスタイルやトレンドを反映していた化粧品のCMソング(’82カネボウ秋のキャンペーンソング)となり、約45万枚を売り上げるヒット曲となった。...
View Articleスコット・マッケンジーを偲んで〜フラワームーブメントを象徴する名曲を歌った男
2012年8月18日、アメリカのシンガーソングライター、スコット・マッケンジー(享年73)がロサンゼルスの自宅で死去した。難病のギラン・バレー症候群を患い、入退院を繰り返していたという。 1967年、スコット・マッケンジー「San Francisco(Be Sure to Wear Flowers in Your...
View Article受験生ブルース〜日本のフォークソングの源流を創った男、高石ともやの偉大な足跡
この歌の原作者は中川五郎。訳詞家としてボブ・ディランのすべての楽曲の歌詞を翻訳しているほか、フォークシンガー、翻訳家、小説家としても活動する人物だ。かつて“関西プロテストフォークの旗手”といわれた彼が、この歌を創作したのは1967年(当時18歳・高校3年生)のことだった。...
View Article恋はフェニックス〜シナトラに“最も偉大な失恋の歌(トーチソング)”と言わしめたジミー・ウェッブの名曲
「これまでに書かれた最も偉大な失恋の歌(トーチソング)だ!」 ――フランク・シナトラ この「By the Time I Get to Phoenix(恋はフェニックス)」は、21歳という若さでグラミーを授賞した天才ソングライター、ジミー・ウェッブが受賞の一年前(20歳)に書いた楽曲だ。...
View Article山口冨士夫27歳〜村八分解散後、何かを求めて繰り返した自由な旅
稀代のロックアーティスト、山口冨士夫。彼の名を日本のロック史に永遠に留めることになったのが、1970年に結成され1973年に解散した伝説のロックバンド「村八分」だ。 村八分、ティアドロップスと、数多くのバンドでギターを弾きながら日本のロックカルチャーを作ってきた山口は、27歳の頃にどんな日々を送っていたのだろう?...
View Article祈りの歌〜新・相馬盆歌
お盆とは、「盂蘭盆会・うらぼんえ」を略した言葉。盂蘭盆会とはサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。...
View Article精霊流し〜長崎出身のさだまさしが描いた儚くも美しい鎮魂歌
精霊流し(しょうろうながし)とは、長崎県の各地、熊本県の一部及び佐賀市でお盆に行われる、死者の魂を弔って送る仏教行事のこと。 毎年8月15日の夕暮れ時になると、町のあちらこちらから「チャンコンチャンコン」という鐘の音や「ドーイドーイ」という掛け声、そして大きな爆竹の音が鳴り響く。...
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