マヘリア・ジャクソンを偲んで〜浅川マキも心酔したゴスペルの女王
まず、浅川マキが著書に残した言葉をご紹介します。この体験をした当時、彼女はまだ29歳でした。 1971年4月、60歳を迎えたゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンが日本(渋谷公会堂)にやって来た。記者や評論家の質問に対して彼女はこう言った。 「どうか、難しいことは聞かないでください。ただ私の歌を聴いて下さい」 そしてこう付け加えて笑ったという。 「歌っている時、私の胸の中は空っぽなんです」...
View ArticleWe Are The World〜チャリティソングの金字塔となった歌
それはMTV全盛期と言われた、1980年代中頃の出来事だった。 ──1984年の12月24日にボブ・ゲルドフ(ブームタウンラッツ)とミッジ・ユーロ(ウルトラボックス)の呼びかけで、アフリカの飢餓と貧困を解消する目的で作られた歌「Do They Know It’s Christmas?」が発表され、“バンド・エイド”というチャリティーキャンペーンが大きな成功を収めた。...
View Articleライトニン・ホプキンスを偲んで〜稲妻と呼ばれた伝説のブルースマンの足跡と功績
ライトニン・ホプキンス。長いブルース史において、最も多くのレコード作品を残した一人として知られている伝説のブルースマンだ。 1982年1月30日、故郷テキサスの地で永眠。69歳、死因は癌だった。...
View Article別れのブルース〜日本初の“ブルース歌謡”の誕生秘話と、淡谷のり子が経験した特攻隊員たちとの悲痛な別れ
特攻隊の慰問にいったときのこと。白鉢巻をした兵隊さんがいっぱいいるんですよ。ちょっと横を向いたら2~30人もいたでしょうか.中には子供みたいな兵隊さんもいるんですよ。まだ15~6歳ぐらいの。だから私、係りの人に訊いたんです。...
View Articleプロフェッサー・ロングヘアを偲んで〜“ロックンロール界のバッハ”と呼ばれた男の足跡と功績
“ロックンロール界のバッハ”と呼ばれた男、プロフェッサー・ロングヘア。1980年、61歳になった年に、ニューオーリンズの黒人街の借家で心臓発作を起こしてこの世を去った。没後、1992年にロックの殿堂入りを果たした伝説のミュージシャンだ。 ニューオーリンズを代表するブルースピアニストだった彼は、本名をヘンリー・ローランド・バードといい「フェス」の愛称でも知られていた。...
View Articleマリアンヌ・フェイスフル〜ミック・ジャガーの恋人、様々な依存症を乗り越えて、老婆を好演する女優となって
「ミックはこれまでのすべての恋人の中で、マリアンヌのことを一番愛していたわ」 これはミック・ジャガーの2番目の妻、ジェリー・ホールが語った言葉だ。 ──マリアンヌ・フェイスフル。 1968年に公開された映画『あの胸にもう一度』で、裸に黒革の衣装をまとってアラン・ドロンと共演し、日本の人気漫画『ルパン三世』に登場する峰不二子のモデルとなったと言われている女性だ。...
View Article歌手人生のターニングポイントとなった『Broken English』、彼女が語る依存症の恐ろしさ
マリアンヌ・フェイスフル。十代で結婚した夫と別れ、18歳でデビューを経験。恋人だったミック・ジャガーと別れた後は、自殺未遂を繰り返しながら、薬物やアルコール、摂食障害などの問題を抱えることとなる。...
View Articleジョン・ライドン27歳〜レコード会社からのヒットソングの作曲依頼、メンバーの脱退、PiL日本公演の成功
1978年、セックス・ピストルズを脱退したジョン・ライドンは、レゲエの本場ジャマイカで3週間の休暇を過ごした。 その後、レゲエ好きの友人ジャー・ウォブル(ベース)と、キース・レヴィン(元ザ・クラッシュのギタリスト)に声を掛けて新バンドパブリック・イメージ・リミテッド(Public Image Ltd)を結成した。当時のドラマーのジム・ウォーカーはオーディションによって雇われた。...
View Articleシド・ヴィシャスの死〜革ジャンのポケットから発見された直筆の遺書
パンクのアイコン的存在として、現代の若者やカルチャーにも影響を与え続けているシド・ヴィシャス。1979年2月2日、彼は麻薬の過剰摂取によってこの世を去った。享年21。 シドのデビューパフォーマンスとなった、セックス・ピストルズのギグを撮影していたことでも知られる映画監督ドン・レッツは、こう回想している。 「シドはいつもトラブルに巻き込まれてた。マヌケだったからな。愛されるバカだったよ」...
View Articleカレン・カーペンターを偲んで〜輝かしい活躍の舞台裏で彼女が抱えつづけた“心の闇”とは!?
1983年2月4日、カレン・カーペンターが32歳でこの世を去った。死因は摂食障害がもたらした心不全だった。 1970年代当時。カーペンターズは、ホワイトハウスやディズニーランドでの演奏を許された唯一のミュージシャンだった。ビートルズのポール・マッカートニーは、カレンの歌声とカーペンターズの音楽についてこう賛美している。 「世界で最高の女声であり、旋律が美しく、豊かで、そして独特だ」...
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