ジョージ・ハリスンの「バングラ・デシ」が日本で発売された日
1971年(昭和46年)9月25日、ジョージ・ハリスンの「バングラ・デシ」(東芝音工)が日本で発売された。 同年の洋楽/邦楽ヒットソングといえば… 【洋楽】 1位「Joy To The World 」/ スリー・ドッグ・ナイト 2位「Maggie May」/ロッド・スチュワート 3位「It’s Too Late」/キャロル・キング 【邦楽】 1位「わたしの城下町」/小柳ルミ子...
View Articleベッシー・スミスを偲んで〜ブルースの女王と呼ばれた伝説的な黒人歌手の足跡と功績
1937年9月26日、ブルースの女王と呼ばれた伝説的な歌手ベッシー・スミス(享年43)が、巡業の途中、ミシシッピー州コアホマ付近で交通事故に遭い死亡した。 亡くなった当時、人気の絶頂にあった彼女の葬儀は派手に行われたらしいが、なぜか夫が墓石を買い供えるのを拒んだため、墓石は無いままだった。...
View Articleヴィンス・ニール27歳〜ロックスターを体現した暮らしぶり、モトリークルーのメンバーが酒とドラッグを断とうとした時期
1987年5月、モトリー・クルーは4thアルバム『Girls,Girls,Girls』を発表し、全米チャートで最高2位を記録した。 同作を引っさげたツアーのサポートは6月からホワイトスネイク、11月からはガンズ・アンド・ローゼズが務めた。 当時26歳だったヴィンス・ニールは、酒、ドラッグ、喧嘩などトラブルを繰り返す“問題児”としてロックシーンにその悪名を轟かせていた。...
View Articleマイルス・デイヴィスを偲んで〜スピリチュアル(霊的)とフィーリング(感覚)、晩年に語った音楽への意欲
1991年9月28日午前10時40分、カリフォルニア州サンタモニカの入院先の病院にてマイルス・デイヴィス(享年65)が亡くなった。 肺炎を悪化させ呼吸不全となり…関係者の見守る中、息を引き取ったという。 臨終に立ち会ったアシスタントマネージャーのゴードン・メルツァーは、当時の状況をこんな風に語っている。...
View ArticleKISS結成物語③〜ニューヨーク・ドールズに影響を受けたメーキャップ、そしてデビューアルバム制作へ
「俺がこのバンド名を思いついた時、メンバー全員が賛成してくれたよ。KISSという名前には様々な意味があると思ったんだ。情熱の口づけだけでなく、死の口づけだってあるんだから。それに凄くわかりやすいし、馴染みがある言葉だしね。KISS?ああ、聞いたことあるよ!なんて、言ってもらえるんじゃないかと俺は思ったんだ。」(ポール・スタンレー)...
View Articleスティング〜何かに突き動かされるように立ち上がったアマゾン熱帯雨林保護活動
1987年12月、スティングはリオでのコンサートを終えた後、プライベートでフランスを訪れカンヌ映画祭を楽しんでいた。 そこで彼はベルギー出身の写真家ジャン・ピエール・デュティルー(通称JP)からこんな話を持ちかけられる。 「私が作ったアマゾン熱帯雨林の窮状を収めたドキュメンタリー映画のスポークスマンになってもらえないだろうか?」...
View Articleツイストブームの立役者チャビー・チェッカーの偉大な功績
1960年代に世界的で巻き起こったツイストブーム。 その立役者として大活躍し、グラミー賞でベスト・ロックンロール・レコーディング賞を受賞した人物がいる。 彼の名はチャビー・チェッカー。 ブームに火を点けたのは、1960年に彼が歌った「The Twist」だった。 その後、「Let’s Twist Again」「Twistin’ USA」「Slow...
View Articleサミー・デイヴィス・ジュニアとフランク・シナトラ〜スター歌手が見出した黒人青年の類まれな才能
ボードビルショー巡業を生業とする一家のもとで育ったサミー・デイヴィス・ジュニアは、幼少の頃から歌やダンスのレッスンを受け、3歳のときにはすでに舞台に立っていたという。 彼と彼の父親、そしてウィル・マスティンのトリオは、どの街に行っても客ウケがよく、舞台仲間たちとの絆も深かった。 しかし、当時アメリカに蔓延っていた人種差別により、黒人の歌手や芸人が一流劇場に出演することは叶わぬ夢だった。...
View Articleニニ・ロッソを偲んで〜“トランペットの詩人”と呼ばれた男の輝かしい功績
1994年10月5日、“トランペットの詩人”と呼ばれたニニ・ロッソ(享年68)がローマ市内にあるジェメリ総合病院で死去した。 死因は肺がんと公表された。 それは恒例の来日公演が決まった矢先の急死だった。 生前ニニは毎年冬に来日して、サンタクロース代わりに施設を訪れ、チャリティー活動を精力的に行っていた。...
View ArticleKISSのジーン・シモンズが初めて火を吹いた日
1973年9月下旬、KISSはいよいよデビューアルバムのレコーディングをスタートさせる。 54丁目とブロードウェイが交わる場所にあるベル・サウンド・スタジオという小汚い二流スタジオだった。 ジーン・シモンズは当時のことを鮮明に憶えていた。 「スタジオでの仕事はてきぱきと進められた。俺たちは全員同じ部屋に入ってかなりの速さで録音を終えた。あの時はほとんどオーヴァーダブもやらなかったよ。」...
View Articleジョニー・キッドを偲んで〜英国が誇るパブロックの雄ジョニー・キッド&ザ・パイレーツの足跡と功績
1966年10月7日、英国が誇るパブロックの雄ジョニー・キッド&ザ・パイレーツのフロントマン、ジョニー・キッド(享年30)がランカシャー州で自動車事故により死去した。 1959年に1stシングル「Please Don’t Touch」でデビューした彼らは、若かりし頃のビートルズやストーンズのメンバーにも大きな影響を与えたと言われている。...
View Articleジャック・ブレルを偲んで〜“稀代の詩人”と呼ばれた人気シャンソン歌手の足跡と功績
1978年10月9日、ベルギー出身のシャンソン歌手ジャック・ブレル(享年49)がこの世を去った。 死因は肺癌と公表された。 彼の遺骨はマルキーズ諸島(フランス領ポリネシア)にあるヒバオア島のトレーター湾を見下ろす墓地に埋葬された。 近くにはゴーギャンの墓もあるこの地は、現在ヒバオア島の観光名所となっているという。...
View Articleザ・フーの「無法の世界」が日本で発売された日
1971年(昭和46年)10月10日、ザ・フーの「Won’t Get Fooled Again(無法の世界)」(ポリドール)が日本で発売された。 同年の洋楽/邦楽ヒットソングといえば… 【洋楽】 1位「Joy To The World 」/ スリー・ドッグ・ナイト 2位「Maggie May」/ロッド・スチュワート 3位「It’s Too Late」/キャロル・キング 【邦楽】...
View Articleソロモン・バークを偲んで〜ミック・ジャガーやヴァン・モリソンに影響を与えた偉大なソウル歌手の功績
2010年10月10日、ソウル歌手ソロモン・バーク(享年70)がオランダのスキポール空港で急逝した。 死因についてはオフィシャルサイトで親族が自然死と説明した。 12日にアムステルダムで公演を行うためにロサンゼルスからアムステルダムへ向かう飛行機の機中で突然心臓発作を起こし、着陸後、駆けつけた医師によって死亡が確認されたという。...
View Articleエディット・ピアフを偲んで〜最期まで歌と愛に生きた人生、亡くなる一年前に結婚した20歳年下の夫
私はおそろしい人生をおくってきました。 それは事実です。 でも、素晴らしい人生でもありました。 こんなことを言うのは他でもありません。 私は人生を…何よりも先ず、人生というものを愛してきたからです。 ピアフは自分に訪れる死を意識しながら書いた自伝にこんな言葉を綴っていた。...
View Articleニーナ・シモン27歳〜一夜にして彼女をスター歌手にした伝説のコンサート、その後一変した生活
1959年9月12日、当時26歳だった彼女はニューヨークのTown Hallで初のホールコンサートを成功させる。 それまでクラブでの活動が中心だった彼女にとって、このステージは大きな転機となった。...
View ArticlePANTA少年時代〜アメリカ兵のハーモニカの思い出、初めて買ったレコード、初めてのコンサート体験
1950年2月5日、PANTAこと中村治雄は埼玉県の所沢市で生まれた。 父親は戦中、戦闘機の整備士をしており、終戦後は地元(所沢)の米軍基地で働いていた。 母親は戦中、シンガポール(昭南島)やペナン島で従軍看護婦をしており、戦後は地元の国立病院で働いていた。 その時代には珍しく“一人っ子”で“共働き”の家庭で育ったPANTAは、代々和菓子屋を営んでいた祖母のもとで幼少期を過ごしたという。...
View Articleビング・クロスビーを偲んで〜20世紀を代表する“最高の白人エンターテナー”と呼ばれた男の輝かしい足跡と功績
1977年10月14日、20世紀を代表する“最高の白人エンターテナー”と呼ばれた男ビング・クロスビー(享年77)がスペインのマドリードで死去した。 死因は心臓麻痺と公表された。 その日、彼はマドリード郊外モラレハにあるゴルフ場で、プロゴルファーのマヌエル・ピエロらとコースを回った直後、午後6時30分頃にクラブハウスから20ヤード近くの場所で胸の痛みと呼吸の苦しさをうったえながら倒れた。...
View Article歴史的なロックンロールの名曲「ジョニー・B.グッド」の誕生秘話
今日10月18日は、2017年に亡くなった“ロックンロール創始者の一人” チャック・ベリーの誕生日です。 彼が生まれた日にちなんで、生前彼が生み出した代表曲「ジョニー・B.グッド」の誕生秘話をご紹介します。 ルイジアナの奥深く… 丸太小屋に住んでいる田舎少年ジョニー・B.グッド 読み書きなんて習ったこともない だけどギターだけはベルを鳴らすみたいに上手に弾けるんだぜ!...
View Articleマレーネ・ディートリヒとバート・バカラック〜56歳と29歳、年の差ベストパートナーとの運命的な出会い
「彼は爆発する火山のようなエネルギーで私の持ち歌を編曲し、本格的なコンチェルトに変えたわ。あの頃の私たち二人は最高のステージを作るためだけに生きていた。」 1939年、マレーネ・ディートリヒ(当時38歳)は正式にアメリカの市民権を取得する。 その後40代となった彼女は、第二次世界大戦が激化してゆく中、ヨーロッパ各地の前線でナチスドイツと戦う連合国兵士の慰問を積極的に行なう。...
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