ファッツ・ドミノ〜“ロックンロールの創始者の一人”と言われた男の偉大な功績と足跡〜
それはローリング・ストーンズがまだデビューして間もない頃の出来事だった。 ある日、ミック・ジャガーは歌詞が聞き取りにくいというリスナーからの苦情を受ける。 それに対してミックは得意気にこう答えたという。 「それでいいんだ!俺はファッツ・ドミノの歌を聴いて独特のサウンドを習得したんだ!」 後日、あるインタビューでそのエピソードを聞いたファッツはこんな風に答えた。...
View Article甲州街道はもう秋なのさ
♪甲州街道はもう秋なのさ/ RCサクセション 1970年のデビュー後、RCサクセションは“物憂げな秋”のような時代を迎えていた。 3rdシングル「ぼくの好きな先生」(1972)のスマッシュヒットはあったものの、その後は不遇の日々を過ごしていたのだ。...
View Article遠藤賢司の名曲カレーライス
これは伝説の純音楽家“エンケン”こと遠藤賢司が1972年に発表した楽曲だ。 70年代、日本においてのフォークソングはいわゆる“四畳半フォーク”と呼ばれるものが主流だった。 60年代から70年代にかけてアメリカでウッディ・ガスリーやピート・シーガー、そしてボブ・ディラン、ジョーン・バエズ等が歌った“プロテストソング”に影響を受けた日本のフォークシンガー達もいたのだが…時代と共に歌も変化してゆく。...
View Article落ち葉の歌〜日本人好みの哀愁メロディ
秋も深まってきました。 そろそろ紅葉〜落ち葉の季節ですね。 まるでパッチワークのように山の色が赤や黄色に色づいて…物悲しくも美しく散ってゆく木々の葉。 それらはやがて昆虫、微生物の糧となります。 小さな生物達によって分解された落ち葉は腐葉土となり、再び栄養として森の木々に吸収されます。 ふかふかの腐葉土は雨水を貯め、山から出ていく水の量を一定に保つ働きもしてくれるそうです。...
View Article愛されつづけるロン・ウッド〜憧れのローリング・ストーンズに加入したターニングポイント
「ロニーとはストーンズに入る前から一緒にプレイしているんだ。ヤツと一緒にやるのは楽しくてね。ある時から“ロニーはストーンズに入るべきだ”と思うようになった。ヤツも同じように感じていたと思うよ。ヤツがまだ始めたばかりの頃、ストーンズを観て“こんな風になってやる”って思ったらしいからな。」(キース・リチャーズ)...
View Articleかまやつひろしの名曲「どうにかなるさ」
1970年(昭和45年)4月5日、当時ザ・スパイダースに在籍中だったかまやつひろしの「どうにかなるさ」(フィリップス)が発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「黒ネコのタンゴ」/皆川おさむ 2位「ドリフのズンドコ節」/ザ・ドリフターズ 3位「圭子の夢は夜ひらく」/藤圭子...
View Articleハロウィンの歌〜あのマリリン・マンソンもカヴァーした異形の(!?)劇中歌
ハロウィンですね。 その語源は、Hallow(神聖な)+een(even=evening)。 万聖節ではAll Hallow’sと言い、その前日である事からAll Hallow’s Eveと呼ばれていたのがHallow E’enとなり、さらに短縮されてHalloweenと呼ばれるようになったというのが有力な説とのこと。...
View Articleイメージの詩〜吉田拓郎の運命を切り拓いた一曲
吉田拓郎は、鹿児島出身の広島育ちである。 彼は高校時代からバンド活動を始め、1968年に広島フォーク村を結成して本格的に音楽キャリアをスタートさせる。 当時、大学4年生だった彼は河合楽器からの就職内定を受けながらも、音楽の道で食べてゆく夢を捨てきれずにいたという。...
View Articleトム・ウェイツの生い立ち〜転々と移り住んだカリフォルニアの田舎町、ルーツに流れるアイルランドの血
1949年12月7日、トーマス・アラン・ウェイツ(出生名)はカリフォルニア州の南部にあるポモナという街で生まれた。 ポモナという名前は古代ローマ神話の果実の女神に因んで名付けられたもの。 1830年代スペイン人がまず入植したポモナ市に、イギリス系アメリカ人が到着したのは1868年のことだった。...
View Articleミシシッピ・ジョン・ハートを偲んで〜70歳で返り咲いた伝説のブルースマンの偉大な足跡と功績
1966年11月2日、ボブ・ディランにも大きな影響を与えた伝説のブルースマン、ミシシッピ・ジョン・ハート(享年74)がシシッピ州グレナダにて死去した。 死因は心臓発作とされている。 柔らかく暖かいタッチのフィンガーピッキングギターと、深みのある歌声で人気を博した彼の音楽人生はまさに“返り咲き”という言葉がふさわしいものだった。...
View ArticleL.A. Woman〜ジム・モリソンが死の直前に放った最高傑作、ブルース用語“mojo”の正体とは!?
この街にやって来たのは ほんの一時間前 俺はあたりを見回した 風向きを見るために L.A.の女 L.A.の女 日曜日の午後に L.A.の女 L.A.の女 日曜日の午後に L.A.の女 L.A.の女 日曜日の午後に ロスの郊外を車で走り抜けて お前の沈んだ心へ…お前の沈んだ心へと入り込む...
View Articleリッキー・リー・ジョーンズとトム・ウェイツの恋物語
彼女がトム・ウェイツと出会ったのは1977年、22歳のときだった。 歌手としての成功を夢見てナイトクラブやコーヒーショップなどで歌っていた頃。 19歳で家出をしてロサンゼルスへやってきた彼女は、当時住む家もないまま友人のアパートなどを転々としながらウェイトレスとして働いて生計を立てていた。 そんなある日、ロサンゼルスでも有名なクラブ、トルヴァドールで歌うチャンスを得る。...
View Article私は泣いています〜あの魅惑のハスキーボイスは深酒のせいだった、不況の時代にヒットする歌の方程式とは!?
1974年、日本では田中角栄首相が「節約は美徳」と提唱し、石油ショックの影響もあり高度成長期半ばにして“待望の時代”から“忍耐の時代”へと移り変わりつつあった。 世の中に不況の風が吹くとどんな曲調が流行るのだろう? 戦後の不況時代の流行歌を調べてみると…笠置シヅ子の「買物ブギ」などのジャズっぽシャッフル系のリズムの曲が浮び上がってくるのだ。...
View Articleニール・ヤング Don’t Be Denied 僕を否定しないで〜小児麻痺の後遺症、学校でのイジメ、両親の離婚、音楽への目覚め
僕が小さな少年だった頃 ママは僕にこう言った 「あなたのパパは今日出て行ったわ」と 僕はてっきりどこかへちょっと泊まりに行ったくらいのもんだと思ってた 僕たちは荷物をまとめてウィニペグまで車で下って行ったんだ 1945年11月12日、彼はカナダ・オンタリオ州トロントで生まれた。 父親はジャーナリストで、当時『トロント・グローブ・アンド・メイル』紙の有能なスポーツ記者だった。...
View Articleぼくたちの失敗・森田童子〜引退から10年後に突如として注目を集めた謎のカリスマ歌手
森田童子。 彼女は、人前ではサングラスを決して外さなかったといわれている。 本名も素顔もすべて謎のアーティストである。 公表しているパーソナルデータといえば…1952年1月15日に東京都で生まれたということくらいだ。...
View Articleマーヴィン・ゲイの死〜ドラッグに溺れてゆく日々、父親の銃によって幕を降ろした人生
モータウンで数々のヒットを飛ばし、20世紀最高峰のメッセージソング「What’s Going on」生み出した彼は、その生涯の最後までドラッグや家庭の問題に悩んでいた。 彼は1982年(当時43歳)のインタヴューで、その頃のことを振り返ってこう語っている。...
View ArticleP.F.スローンを偲んで〜60年代に活躍した若きソングライターの光と影
2015年11月15日、シンガーソングライターのP.F.スローンがロサンゼルスの自宅で息をひきとった。 70歳で他界するわずか数週間前に膵臓癌と診断されていたという。 60年代、アメリカのポップスシーンにおいて“優秀なソングライター”として功績を残した彼。 その代表作と言えばバリー・マクガイアが歌った「Eve of Destruction(明日なき世界)」と、ジョニー・リヴァースの「Secret...
View Articleボビー・チャールズ〜ウッドストックの地に本物の南部音楽を伝え、多くのミュージシャン達に大きな影響を与えた男の功績と軌跡
2010年1月14日、ウッドストックの音楽シーンにおいて重要な役割を担ったシンガーソングライター、ボビー・チャールズ(享年71)が、ルイジアナ州アブヴィルの自宅で倒れ死去した。 直接の死因は明らかになっていないが、晩年の彼は糖尿病など健康上の問題を抱えており、腎臓癌の治療中だったという。...
View Articleサイモン&ガーファンクルが再会を果たした曲
1975年(昭和50年)11月21日、サイモン&ガーファンクルの「マイ・リトル・タウン」(CBS・ソニー)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「昭和枯れすゝき」/さくらと一郎 2位「シクラメンのかほり」/布施明 3位「想い出まくら」/小坂恭子 4位「時の過ぎゆくままに」/沢田研二 5位「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド...
View Article