心の旅〜チューリップを一躍人気アーティストにした楽曲の誕生秘話
「ビートルズの影響です。最初の部分の“ああ”は歌詞が一音足らなかったんです。英語だと一音で“You”とか言えますけど、日本語は一文字しか歌えなくて…」(財津和夫) 1973年4月21日にリリースされたチューリップの3rdシングル「心の旅」。 彼らにとって初のヒットとなったこの歌は、イントロ抜きでいきなりサビから始まるという、当時としては斬新な楽曲だった。...
View Article風〜はしだのりひこが紡いだ珠玉のメロディー
1969年1月、はしだのりひことシューベルツはデビューシングル「風」をリリースした。 フォークミュージックを基調としながらも、普遍的な歌詞の内容とキャッチーなメロディーが大衆にウケて、58万枚を売利上り上げるヒットとなった。...
View Articleマリアンヌ・フェイスフル〜ミック・ジャガーの恋人、薬物・アルコール依存症を乗り越えて、老婆を好演する女優となって
「That of all the girlfriend’s he’s (Jagger) ever had,He loved her(Marianne) the most(ミックはこれまでのすべての恋人の中で、マリアンヌのことを一番愛していたわ)」 これはミック・ジャガーの2番目の妻ジェリー・ホールが語った言葉だ。 父は薔薇を約束してくれた そして母は嵐を 父は頭を使うことを教えてくれた...
View Article鮮烈なブルーを放った女神〜ジョニ・ミッチェル27歳
♪「All I Want」/ジョニ・ミッチェル ローリング・ストーン誌『The 500 Greatest Albums of All Time』において、女性ソロ・アーティスト最高位(30位)に選ばれたジョニ・ミッチェルの『Blue』。 カナダからニューヨークに移り住み、24歳でデビューした彼女。 “恋多き女”と呼ばれた彼女が1971年(27歳)に放った、この名盤のオープニングを飾る「All I...
View Articleぼくの好きな先生〜高校生時代の忌野清志郎が慕った美術部顧問の教師
「ぼくの好きな先生」は、RCサクセションの記念すべき1stアルバム『初期のRCサクセション』からのシングルカット曲として1972年2月5日、アルバムと同日にリリースされた。 RCの黎明期、つまり忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチの3人編成によるフォークトリオの時代の作品である。...
View Article音故知新①〜カントリーミュージックが生まれた場所
「カントリーミュージックのルーツをさかのぼると、アイルランドやスコットランドからアメリカ東部の僻地山岳帯アパラチアに入植した移民たちの歴史に辿り着く…」 まず、「カントリーミュージック」という呼び名は1940年代に入ってから用いられるようになったという。...
View ArticleBridge over Troubled Water〜この国、この世界の明日に“希望の橋”が架かりますように
人生が大変で辛いとき 友達も見つからないようなとき 激流に掛かる橋のように 僕が君の支えになるから 激流に掛かる橋のように 僕が君を助けるから この「Bridge over Troubled Water(明日に架ける橋)」は、ポール・サイモンが黒人霊歌の「Mary, Don’t You Weep(マリアよ、嘆かないで)」から着想を得て作詞作曲した歌として知られている。...
View Articleヨイトマケの唄
“ヨイトマケ”とは、「重い物を滑車で上げ下げしたり、網で引いたりする動作を、大勢で一斉にするときの掛け声。転じて、そのような労働、主に地固めなどの仕事を日雇いでする人。(広辞苑)」とある。 1965年7月、丸山明宏(現:美輪明宏)が作った名曲「ヨイトマケの唄」がキングレコードから発売され翌年(1966年)のヒット曲となった。 しかし、程なくしてこの歌は放送禁止となる。 歌詞の中にある...
View Article母の歌〜その後のポピュラー音楽に多大な影響を与えた名曲の誕生秘話〜
『マザー』をつくるにあたっては いくつかアイディアがあったのですが できあがったものを聞いてみると ピアノがすべてをやってくれていて あとは自分のマインドにまかせました。 〜中略〜 ピアノでひとつの音をだすと そこにすべてのハーモニックがあるということは 誰でも知っています。 どんなミュージシャンでも教えてくれます。 私は、こういうところまできてしまったのです。 このようなシンプルさ以外には、...
View Articleブルー・ライト・ヨコハマ〜横浜からヨコハマへと街の色を変えた一曲
1968年のクリスマス(12月25日)にその歌はリリースされた。 当時、二十歳だった歌手・いしだあゆみにとって26作目のシングルだった。 なんと!発売日に10万枚のレコードが売れ、それが10日間続いたというから驚きだ。 結果、3ヶ月で200万枚近くを売り上げるミリオンセラーを記録する。 時代は“全共闘・全国学園闘争”の真っただ中だった。...
View Article横須賀ストーリー〜“百恵伝説”はここから始まった!16才の少女の人生を変えた歌
この「横須賀ストーリー」は、1976年6月にリリースされた山口百恵の13枚目のシングル曲だ。 前年に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をヒットさせたダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童(作曲)、そして彼の妻としても知られている阿木燿子(作詞)の手によって作られた作品である。 売上81万枚を記録し、オリコン集計では百恵の最大ヒットシングルとなった。...
View Articleデヴィッド・ボウイとミック・ロンソン〜グラムロック創成期を築いた黄金コンビの出会い
デヴィッド・ボウイがグラムロックに傾倒した70年代、彼の横でGibsonレスポールをかき鳴らす金髪のギタリストがいた。 “ロノ”という愛称で呼ばれていたその男の名はミック・ロンソン。 彼はそれまで数々のバンドを渡り歩いた後、1967年にザ・ラッツというバンドに参加する。 そのバンドのメンバーの誘いで、ロノはデヴィッドと運命の出会いを果たす。 1969年、デヴィッドは2ndアルバム『Space...
View Articleスローなブギにしてくれ〜気弱で強がりなハードボイルドの世界観を見事に仕立て上げた南佳孝と松本隆の手腕
この南佳孝が作曲した「スローなブギにしてくれ(I want you)」は1981年1月21日にリリースされた。 作詞はこの当時からヒットメーカー(作詞家)として快進撃を始めていた松本隆。 その春に公開された片岡義男の小説を原作とした同名の角川映画『スローなブギにしてくれ』(浅野温子主演)の主題歌として起用され累計枚数40万枚を超える大ヒットとなった。...
View Articleリッキー・リー・ジョーンズとトム・ウェイツの恋物語
彼女がトム・ウェイツと出会ったのは1977年、22歳のときだった。 歌手としての成功を夢見てナイトクラブやコーヒーショップなどで歌っていた頃。 19歳で家出をしてロサンゼルスへやってきた彼女は、当時住む家もないまま友人のアパートなどを転々としながらウェイトレスとして働いて生計を立てていた。 そんなある日、ロサンゼルスでも有名なクラブ、トルヴァドールで歌うチャンスを得る。...
View Articleパープルタウン〜八神純子の才能と実力、人気絶頂期の光と影
「デビューして丸2年、いい曲を作ろうと思って無我夢中でした。でも、ふと気づいた時に“いい曲を作らなきゃいけない”というプレッシャーに押しつぶされそうになっている自分がいたんです。“このままではダメになってしまう”と必死にもがいていました。」 1980年7月21日にリリースされた八神純子の9枚目のシングル「パープルタウン」は、同年の日本航空JALPAK“I LOVE...
View Articleニーナ・シモン27歳〜一夜にして彼女をスター歌手にした伝説のコンサート、その後一変した生活
1959年9月12日、当時26歳だった彼女はニューヨークのTown Hallで初のホールコンサートを成功させる。 それまでクラブでの活動が中心だった彼女にとって、このステージは大きな転機となった。...
View Article山口冨士夫27歳〜村八分解散後、何かを求めて繰り返した自由な旅
稀代のロックアーティスト、山口冨士夫。 彼の名を日本のロック史に永遠に留めることになったのが1970年に結成され1973年に解散した伝説のロックバンド村八分だ。 村八分、ティアドロップスと、数多くのバンドでギターを弾きながら日本のロックカルチャーを作ってきた彼は27歳の頃にどんな日々を送っていたのだろう?...
View Article無双のバンド〜The Doorsの真実、彼らが開いた扉とは?
「Break On Through (To the Other Side)」/ドアーズ 長いロックンロールの歴史において、まさに“無双”の存在として多くのアーティストに影響を与え続けてきたThe Doors(ドアーズ)が、1993年にロックの殿堂入り(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)を果たした。...
View ArticleGoodnight Saigon〜ビリー・ジョエルが紡いだ究極の反戦歌
「この曲を最後まで仕上げるのは、とてもヘヴィーなことだったよ。当時、世の中の人々には、受け入れる準備がまだできていないと感じていたんだ。きっと思い出すことさえ辛いことだろうと。他の誰よりも、かつて兵士だった人たちを傷つけてしまうだろうと。」 「Goodnight Saigon」は、ビリー・ジョエルが1982年にリリースしたアルバム『The Nylon...
View Articleみずいろの雨〜その美しいメロディーを生んだのは北海道の景色と原宿の歩道橋だった
1978年9月5日、八神純子の5thシングル「みずいろの雨」がリリースされた。 当時、約60万枚を売り上げてオリコンチャート2位となったその歌は、彼女のキャリアの中で最高セールスを記録した代表曲となった。 クレジットには作曲・八神純子、作詞・三浦徳子、編曲・大村雅朗と記してある。 曲の発表からさかのぼること数ヶ月…。 その年の初夏、彼女は札幌でコンサートをするために千歳空港に降り立った。...
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