あなたの好きな人と 踊ってらしていいわ
やさしいほほえみも その方におあげなさい
けれども 私がここにいることだけ
どうぞ忘れないで
ダンスはお酒みたいに 心を酔わせるわ
だけどお願いね ハートだけはとられないで
そして私のため残しておいてね
最後の踊りだけは
あなたに夢中なの
いつかふたりで
だれもいない処へ
旅に出るのよ
どうぞ踊ってらっしゃい 私ここで待ってるわ
だけど送って欲しいと頼まれたら断ってね
いつでも私がここにいることだけ
どうぞ忘れないで
きっと私のため残しておいてね
最後の踊りだけは
胸に抱かれて踊る
ラストダンス…忘れないで
(日本語詞:岩谷時子)
この「Save The Last Dance For Me(ラストダンスは私に)」は、越路吹雪の十八番(おはこ)として広く知られていたため、日本ではシャンソンと思っている人が多くいるという。
越路のマネージャー兼生涯の親友だった岩谷時子が、多くのシャンソンに日本語訳をつけていたことが理由とされている。
しかし、この歌はフランスで生まれのシャンソンではなく、アメリカ産のポップスなのだ。
また、オリジナルを唄ったのがベン・E・キングも在籍していた人気コーラスグループのザ・ドリフターズ(The Drifters)で、アトランティックレコードから発売されたということで、黒人音楽のヒット曲と思い込んでいる人も多いという。
ところが、この楽曲を手掛けたドク・ポーマス(作詞)もモルト・シューマン(作曲)も白人なのだ。
後にエルヴィス・プレスリーへの楽曲提供で名を馳せたポーマスとシューマンの二人は、1950年代末から作家チームとして活動を始めている。
男性アイドル歌手フェビアンや、ロック&ロール・ヴォーカルグループとして人気を誇ったディオン&ザ・ベルモンツに書いた楽曲がスマッシュヒットを記録し、徐々に注目を集めてゆく。
そんな彼らの名声を決定づけたのが、この「Save The Last Dance For Me(ラストダンスは私に)」だった。
元々は白人アイドル歌手のジミー・クラントンのために書き下ろした曲だったが、アトランティックから「ドリフターズに唄わせて欲しい!」と頼まれ、それを了承。
ラテン風のテイストがほのかに香るドゥーワップソングとしてアレンジされ、ベン・E・キングのリードヴォーカルを軸に“おなじみの”テイクが完成した。
1960年にリリースされたこの歌は、一気にヒットチャートを駆け上がり3週連続全米一位を記録。
ビートルズのポール・マッカートニーは、この曲を聴きながら「Hey Jude」を作ったという。
そんな秘話を元に日本の人気コーラスグループ、ザ・キングトーンズが大滝詠一プロデュースで、2つの楽曲をシンクロさせた「ラストダンスはヘイジュード」(1981年)をリリースしている。
作詞者のドク・ポーマスは幼少期にポリオ(急性灰白髄炎)を患い、成人してからも松葉杖と車椅子を使う生活を余儀なくされていた。
十代でブルース歌手となり、ハンデのおかげで黒人の聴衆と気持ちを通わせていたという。
二十代後半の頃、ブロードウェイの女優・ダンサーと結婚し、家族を養うために歌詞と平行して雑誌記事を書くようになる。
この歌は彼が実際に体験した“ある日の出来事”に基づいて書かれたという。
その内容は…彼が最愛の妻に贈った究極のラブソングだった。
君は誰とでも踊れる
目のあった男とも
その男に強く抱かせることも
その男に微笑みかけることもできる
君の手を握った…
青い白い月の光の下で
でも、君を家まで送り届ける男のことを
忘れないで欲しいんだ
君は彼の腕に抱かれる…
恋人よ、ラストダンスは僕に
今かかっている音楽は
スパークリングワインのように素晴らしい
行っていいよ、楽しんでおいで
笑って、歌って
でも、僕たちが離れている間に
誰かに君の心を与えないで
君を家まで送り届ける男のことを忘れないで
君は彼の腕に抱かれる…
恋人よ、ラストダンスは僕に
僕が君をこんなにも愛しているのがわからないのかい?
僕たちが触れあったときに感じただろ?
僕は決して君と別れない
僕はとても君を愛している
君は踊っていいよ
行っていいよ、踊り続けておいで
夜が明けるまで…
そして、帰る時がきて
君が一人かどうか?君を家まで送ろうか?と彼が尋ねてきたら
「ノー」と断ってくれるよね
君を家まで送り届ける男のことを忘れないで
君は彼の腕に抱かれる…
恋人よ、ラストダンスは僕に
<参考文献『スタンダード・ヴォーカル名曲徹底ガイド下巻』音楽出版社>
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