1980年代前半…日本では“一億総中流”という言葉が生まれた。
そんな中、関西弁で歌われた一曲のバラードがヒットチャートを駆け上がった。
実力派歌手、上田正樹の歌唱によって1982年にリリースされた名曲「悲しい色やね」。
その歌が発売された年は歌謡界にとっても“豊作の年”と言われ、あみんの「待つわ」、岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」、中島みゆきの「悪女」、忌野清志郎+坂本龍一の「い・け・な・いルージュマジック」、一風堂の「すみれSeptember Love」、薬師丸ひろ子 の「セーラー服と機関銃」などなど、数々のヒット曲がチャートを賑わせていた。
上田正樹。
1974年に伝説のR&Bバンド“上田正樹とサウス・トゥ・サウス”を結成し、華々しくデビューするも…わずか2年でバンドを解散させてしまった彼は1977年からソロ歌手としてキャリアをスタートさせていた。
当時は大きなヒットにも恵まれず、地道にライブ活動をつづけていたという。
1981年、環境を変えるためにレコード会社をCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンターテイメント)に移籍するが…思うように売り上げが伸びることはなかった。
そこで、当時の担当ディレクター関屋薫がこんな提案をしたという。
「シンガー上田正樹の魅力を引き出すために、何人かの作曲家に曲を依頼してみましょう!」
数日後エントリーされた作家陣の中に、当時“新進気鋭の作曲家”として注目を集めていた林哲司の名前があった。
関屋は早速林のもとを訪ね、打ち合わせを重ねていった。
「あのハスキーな声で美しいバラードを歌ったらどうなるだろう?」
ほどなくして…林はスマートな英語詞をイメージした楽曲を書き下ろし、関屋に渡した。
まさに文句のつけようのないメロディーを手に入れた関屋は、康珍化(かんちんふぁ)に連絡をとって作詞を依頼した。
康と言えば、後に「ギザギザハートの子守唄」(チェッカーズ)、「桃色吐息」(高橋真梨子)、「ミ・アモーレ」(中森明菜)、「涙をふいて」(三好鉄生)、「胸が痛い」(憂歌団)などをヒットさせ、作曲家の林哲司とのタッグでも数々の名曲を生み出した才人である。
上田正樹という“一癖ある男”が歌う美しいバラードの歌詞を依頼された康は、その日のうちに関屋に一本の電話を入れた。
その時の会話を関屋は鮮明に憶えているという。
「依頼した日の夜に電話がかかってきて“あの曲を関西弁で書いたらまずいだろうか?”と言うんです。関西弁という発想も驚きでしたが、まさか(さらに)女性目線の言葉で綴られるとは思ってもみなかったことでした。」
数日後、できあがってきた歌詞を見た作曲家の林は一言。
「こんな演歌みたいな曲、売れるわけがない。」
あくまで洋楽っぽくスマートなポップスを意識して作曲した林にとっては、まるで“美意識”に反する歌詞だったという。
しかし関屋の頭の中では、確信にも近い自信があったという。
メロディーとサウンドがこの上なくお洒落でいて、歌詞が関西弁、それに上田のハスキーな声が泥臭く絡む…。
「新しいAORの誕生だ!」
曲のタイトルは当初“大阪ベイブルース”とつけられていたものから“悲しい色やね”に変更されてリリースされた。
リリース直後の売れ行きは…あまり芳しいものではなかった。
ところが、その歌詞が大阪の人達の心に刺さったのか?関西地区の有線リクエストが日に日に増えてゆき…翌年にはチャート上位に躍り出るほどのヒットを記録したのだ。
後に作曲を担当した林は、あるインタビューでこんな風に語っている。
「僕はこの歌を通じて作曲家としての美意識と“売れる”という現実が違うということを知り、ある意味“売れるコツ”をつかんだような気がします。最終的に人の心を打つものはなにか?と考えたときに、それは単に“感動するメロディー”ではなく“人が歌う肉声としての歌”になってなければならないと気づいたんです。」
上田はこの「悲しい色やね」を歌った当時、大阪から東京に居を移していた。
この歌詞は上田と康の二人で練りあげたものだったという。
描かれた場面や心模様には、上田自身が大阪のミナミや西成に住んだ70年代の実体験が投影されているという。
上田は、あるインタビューで「大阪の海、悲しい色とはどんな色なのか?」と問われたときに、こんな風に語っている。
「汚れて濁った海の色かな…。歌い出しの“にじむ街の灯”は最初“尼崎の灯”やった。具体的すぎるから“街の灯”に変更することになってね(笑)でもほんまの実体験では確か“天保山から見える灯”やったんかな(笑)」
上田は、この歌を通じて弱い人間や敗者の目線から“大阪人の魂(ソウル)”を表現したかったのだという。
<引用元・参考文献『J-POP名曲事典300曲』/富澤 一誠(ヤマハミュージックメディア)>
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