ジュリア・ウォード・ハウという女性をご存知だろうか?
19世紀のアメリカ合衆国において奴隷制度廃止運動家・政治活動家として活躍した人物で、あの誰もが一度は耳にしたことがあるであろう「The Battle Hymn of the Republic(リパブリック讃歌)」の作詞者としても有名な才女である。
さらに彼女にはもう一つ、歴史的な出来事に関わった功績があるという。
それは“母の日”の起源である。
母の日といえば、今ではカーネーションやプレゼント、グリーティングカードを贈る日だが、かつては戦死した兵士(夫や息子)を悼み、平和のために活動する母親たちの日だったのだ。
母の日が現在の形となるまで、様々なドラマや変遷があったらしいが…ジュリア・ウォード・ハウが果たした功績も大きかったと言われている。
南北戦争中にアン・ジャービスという牧師の女性が、敵味方問わずに負傷兵の衛生状態を改善するための取り組み行い“母の日の仕事”と称して地域の女性を結束させていた。
南北戦争終結後の1870年、ジュリアがアンの取り組みにヒントをえて、戦場への人員派遣を拒否しようとする運動“母の日宣言(Mother’s Day Proclamation)”を高らかに謳ったのだ。
しかし…彼女たちが生きている間にその運動が広く普及することはなかった。
「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation) 日本語訳:向井真澄
立ち上がれ、母親達よ
立ち上がれ、愛情深き女達よ
立ち上がれ、信仰の違いを越えてきっぱりと言おう
大事な問題を、お門ちがいの当局まかせにはしない
殺戮を重ねた夫を、愛撫や喝采で迎えたりはしない
息子達を連れ去って
慈愛と寛容について母親達が教えてきたすべてのことを
忘れさせることは許さない
女達の友愛は国境を越える
だから許しはしない
他国の女の息子を殺すための訓練を
自分の息子に受けさせることは
荒れ果てた大地の底から声が湧きあがり、私達女の声と一つになる
「武器を捨てよ!殺人のための刃は正義のものさしにはならない」
血は不名誉を清めはしない
暴力では何ものも獲得できない
男達が鋤や金どこを捨てて戦場に赴くように
女達よ、家事を捨てて偉大な集会に結集せよ
集まったらまず、女として、死者を追悼しよう
人類という大きな家族が平和のうちに生きることができるように語り合おう
それぞれの時代に、為政者ではなく神の刻印が残されるように
女の友愛と人道の名において、心から呼びかける
国境を越えて女の総会を招集しよう
適当な場所を選び、なるべく早い時期に
諸国の協調と
国家間の諸問題の友好的解決と
平和という偉大で普遍的な利益の実現をすすめるという目的のために
アンの死後、娘であるアンナ・ジャービスが亡き母を偲んで白いカーネーションを贈る。その後、母の意思を継ぐ娘アンナの働きかけによって、母の日が多くの市や州で祝われるようになり、カーネーションが「母の日」のシンボルとなる。
そして1914年、当時の米大統領ウッドロウ・ウィルソンが5月の第2日曜日を正式に祝日と定めた。
奴隷制度廃止運動、そして母の日宣言など、その生涯を政治活動に捧げた才女ジュリア・ウォード・ハウは、1910年10月17日に米国ロードアイランド州ポーツマスの自宅にてこの世を去った。
死去は肺炎、享年は91歳だった。
南北戦争時代に彼女が作詞した行軍曲「The Battle Hymn of the Republic(リパブリック讃歌)」は、今でもアメリカの讃える愛国歌として多くの国民に愛されている。
軍歌の歌詞を女性が書いた珍しい事例として、彼女は1970年(没後60年)にソングライター殿堂(Songwriters Hall of Fame)入りを果たした。
彼女の肖像は、1987年にアメリカで発行された14セント切手の図柄にもなっている。
黒人奴隷の解放、インディアンの虐殺…南北戦争が抱える矛盾の中で、平和と平等を願い続けた彼女が遺した作品は…一曲の軍歌だった。
The post ジュリア・ウォード・ハウを偲んで〜平和と平等を願い続けた才女が遺した一曲の歌 appeared first on TAP the POP.