マイルス・デイヴィス27歳〜麻薬中毒からの脱出、その決意と“薬抜き”の苦しみと喜び
「麻薬との戦いが終わった日、俺は12日間籠った農場から歩いて外に出て、オヤジのところまで行ったんだ。そこで彼と目が合った時、お互い笑顔と涙で顔を歪ませながら抱き合って泣いたよ。」 マイルス・デイヴィスの音楽キャリアは、13歳の誕生日に父親からプレゼントしてもらったトランペットを手にした時から始まった。...
View Articleジョーン・バエズ27歳〜平和主義者として歌った日々、実験的なアルバムの制作
アメリカにおけるモダンフォークブームの先頭に立ち、ブレイク前のボブ・ディランを世に紹介したジョーン・バエズ。 ベトナム戦争が深刻さを深めていくにつれて、彼女は反戦の思想を込めた「We Shall Overcome(勝利を我らに)」などのプロテストソングを高らかに歌うようになる。...
View Articleパティ・スミス少女時代②〜憧れのマリア・カラス、ローリング・ストーンズの衝撃、そしてディランとの出会い
1956年、彼女が9歳の時に一家は同じフィラデルフィア圏内のサウスジャージーに引っ越す。 彼女は新しく通うこととなった学校の音楽教師に影響を受けたという。 その男性教員は無類のオペラ好きだった。 彼は自分のコレクションのレコードを学校に持ってきて、生徒たちに聴かせていた。...
View Articleウディ・ガスリーを偲んで〜ディランやスプリングスティーンに多大な影響を与え男の功績と“本当に伝えたかったメッセージ”とは!?〜
ウディ・ガスリーを“アメリカの国民詩人”と定義したのは、日本人の村上春樹だった。 アメリカ人は、彼をプロテストソングの先駆者として、またはアメリカンフォークソングの父としてとらえていたという。 彼は数多くの音楽を作ったが、そのほとんどは“一回限り”のもので、歌い終えれば、端からどんどん忘れていった。...
View Articleバート・ヤンシュを偲んで〜ジミー・ペイジ、ノエル・ギャラガー、ジョニー・マーに影響を与え“英国のボブ・ディラン”と呼ばれた男の足跡と功績
2011年10月5日、バート・ヤンシュ(享年67)がロンドン北部ハムステッドのホスピスで亡くなった。 後日、死因は癌と発表された。 彼のトリビュートライヴがロンドンのロイヤルアルバートホールで開催されたのは、その死から2年経った2013年12月3日だった。...
View Articleチャック・ベリー27歳〜順風満帆な新婚生活、運命を変えたマディ・ウォーターズからの一言
ボ・ディドリーやリトル・リチャードと並び“ロックンロールの創始者の一人”として知られているチャック・ベリー。 ロックが好きならば彼の名を知らない人はいないだろう。 ビートルズのジョン・レノンが「ロックンロールに別名を与えるとすれば“チャック・ベリー”だ」と発言しているほど、後進のロックアーティストたちに多大な影響を与えてきた彼。...
View Articleエリック・クラプトン少年時代①〜複雑な家庭環境、ジェリー・リー・ルイスの衝撃、自己流で弾き始めたギター
彼の生い立ちは複雑だった… 母親のパトリシアは彼を産んだ当時、未婚の16歳だったという。 父親は英国に駐留していた既婚のカナダ兵だった事から、彼は祖母に預けられて彼女の再婚相手の子供(実母とは異父兄弟)として育てられたのだ。 彼はそこで青年になるまでの時期を“リック”と呼ばれて過ごした。 その後、母親はクラプトンを引き取ることはなく、別の男性とドイツで結婚する。...
View Articleデヴィッド・ボウイが憧れのエルヴィスからもらった手紙
10月9日は“世界郵便の日”です。 全世界を一つの郵便地域にすることを目的に万国郵便連合(Universal Postal Union:UPU)が発足した日ということで…今日は“手紙”にまつわるロックなエピソードをご紹介します。 ──1950年代の中頃、アメリカはもちろんのこと、イギリスの女性たちもラジオから次々と流れてくるエルヴィス・プレスリーの声に心を奪われていた。...
View Articleエディット・ピアフ27歳〜ユダヤ人作曲家との戦火の恋、運命のメロディーPadam Padam
稀代のシャンソン歌手、エディット・ピアフ。 本名はエディット・ジョヴァンナ・ガシオン。 1915年12月19日、彼女はパリ20区の貧しい地区ベルヴィル街で生まれた。 父親は大道芸人で、母親はカフェや酒場などで歌う歌手だった。 幼少期は孤独で、親戚から親戚へと転々とし、祖母の経営する売春宿で育てられた時期もあったという。...
View Articleカントリーロード〜70年代のアメリカを代表する大ヒットソングの誕生秘話〜
誰もが一度は胸に抱く都会への憧れ。 進学、就職、または夢を追いかけて…故郷から旅立ってゆく人々。 その多くの者達が、ある時期必ず想うことがある。 「故郷へかえりたい!」 70年代、そんな望郷の想いを歌ったアメリカの楽曲が大ヒットした。...
View Articleキム・ゴードン27歳〜ソニック・ユースの始動、初めてのレコーディング
キム・ゴードン。 ニューヨーク生まれ、ロサンゼルス育ち。 カリスマ的な人気を誇ったオルタナティヴロックバンド“ソニック・ユース”のベース&ボーカルを担当。 バンドは70年代の終焉と同時期に活動をスタートさせ、2011年に活動休止した。 音楽活動のほかにファッションブランドX-girlの創設者でもあり、80年代〜00年代までのグランジ、オルタナシーンに大きな影響を与えてきた人物として知られている。...
View Article尾崎豊I Love You〜平成3年にリバイバルヒットした“歌い継がれる名曲”の誕生秘話
「今にして思うと…彼は歌詞になるべく英語を使わないと言っていたわりには、やっぱり急場しのぎでつけたようなタイトルでしたね。でも急場しのぎって凄くいいものができるケースもあるんです。つまり、結局そこに実力が出ちゃうんですよ。前々から用意したものっていうのは、その人の音楽的なイヤらしい癖とかも出ちゃいますからね。」 (音楽プロデューサー:須藤晃) I love you 今だけは悲しい歌聞きたくないよ...
View Articleエリック・クラプトン少年時代②〜ブルースの洗礼、大工職人の助手となって学んだ大切なこと
「彼が演奏していた“ヘイ・ヘイ”という曲にノックアウトされたんだ。メジャーとマイナーの間を行き来するブルーノートノートスケールがたくさん出てくる複雑な曲なんだ。その後、ロバート・ジョンソンを聴いた時“ロックンロールは、さらに言えばポップミュージックのすべてのルーツはここから生まれている”と確信したんだ。」...
View Articleアート・ブレイキーを偲んで〜ピアニストからドラマーへの突然の転身、親日家、後進たちに刻み続けるハートビート(鼓動)〜
アート・ブレイキー。 脈々と続くジャズ史において、輝かしくその名前を刻んだ名ドラマーである。 1919年10月11日 、アメリカ合衆国のペンシルベニア州ピッツバーグで産まれ、71歳を迎えた5日後の1990年10月16日に肺炎のためこの世を去る。 親日家として知られてた彼は、生前、こんな言葉を残している。...
View Articleジュリア・ウォード・ハウを偲んで〜平和と平等を願い続けた才女が遺した一曲の歌
ジュリア・ウォード・ハウという女性をご存知だろうか? 19世紀のアメリカ合衆国において奴隷制度廃止運動家・政治活動家として活躍した人物で、あの誰もが一度は耳にしたことがあるであろう「The Battle Hymn of the Republic(リパブリック讃歌)」の作詞者としても有名な才女である。 さらに彼女にはもう一つ、歴史的な出来事に関わった功績があるという。 それは“母の日”の起源である。...
View Articleバルバラ27歳〜パリの名門キャバレーとの契約、様々な芸人たちの名演名唱に触れる日々、黒い衣装との出会い
常に黒い衣装に身を包んで歌った孤高のシャンソン歌手、バルバラ。 平和主義者で、エイズ撲滅運動の運動家でもあった彼女。 自伝『それは黒いピアノだった…未完の記録』を執筆半ば、1997年アメリカの病院で呼吸器系の病気のため67歳で死去した。 彼女は1930年にパリで生まれた。 幼少期の頃、彼女の住んでいたパリはナチスの占領下となり、日々死の恐怖に怯えながら暮していたという。...
View Articleジョーン・バエズ少女時代①〜悲惨なバグダッドで芽生えた正義感、肌の色の違いで受けた差別、音楽への目覚め
1941年1月9日、彼女はニューヨークにあるスタテンアイランドで生まれた。 三姉妹の次女として誕生した彼女には“ジョーン・シャンドス”という名前がつけられた。 後にスタンフォードやマサチューセッツ工科大学で教鞭をとるメキシコ系物理学者の父と、スコットランド出身の母との間に生まれた彼女。 物理学者だった父親のアルバートは、軍需産業への協力要請を拒否した人物でもあった。...
View Articleファッツ・ドミノ〜“ロックンロールの創始者の一人”と言われた男の偉大な功績と足跡〜
それはローリング・ストーンズがまだデビューして間もない頃の出来事だった。 ある日、ミック・ジャガーは歌詞が聞き取りにくいというリスナーからの苦情を受ける。 それに対してミックは得意気にこう答えたという。 「それでいいんだ!俺はファッツ・ドミノの歌を聴いて独特のサウンドを習得したんだ!」 後日、あるインタビューでそのエピソードを聞いたファッツはこんな風に答えた。...
View Articleジミー・ペイジ27歳〜築200年の石造建物でのレコーディング、前代未聞の“無題アルバム”を発表
ジミー・ペイジといえば…1970年代に“最も成功したロックバンド”レッド・ツェッペリンの中核を担ったギタリスト兼リーダーである。 若い頃からアートスクールとの二足の草鞋でセッションギタリストとして活躍し、ジョー・コッカーのバックバンド、ニコのプロデュース、ザ・フーのレコーディングへの参加、ヤードバーズへの加入を経て、1968年にレッド・ツェッペリンを結成する。...
View Articleジョーン・バエズ少女時代②〜昼休みに学校で唄っていた中学時代、政治に関心を深めていった高校時代
幼い頃にはじめたピアノ、そして合唱、さらに彼女は父親の知り合いの手解きを受けてウクレレの演奏も始めていた。 当時、ポピュラー音楽のほとんどが、カントリー&ウェスタンとリズム&ブルースだったという。 彼女はまだ中学生だったにも関わらず、その90%の曲で使われている4つのコードをすでにマスターしていた。...
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