「私のために世界一美しいラブソングを書いてちょうだい」
1967年の秋のある日、フランスの人気女優ブリジット・バルドーは親密な関係にあったセルジュ・ゲンスブールにこんなおねだりをした。
当時、バルドーはドイツの富豪ギュンター・ザックスと婚姻関係にあり、ゲンスブールは“この火遊びは長続きはしない”と考えていた。
ゲンスブールといえば「夢見るシャンソン人形」のヒットでも知られる売れっ子作曲家であり、歌手、映画監督などとしてもその名を轟かせていた男である。
彼はバルドーのために究極のラブソング「Je t’aime… moi non plus」を書きあげた。
「愛してる」と熱烈に求愛する女。
それに対し思わせぶりに「僕は全然」と答える男。
恋に溺れる女が、のらりくらりとはぐらかす男の態度によって、より深い官能の恋へと落ちていく…その愛の描写は“あからさま”だった。
特に歌のサビで何度も繰り返される“腰の間でいったりきたり”という表現が、性行為(一部の解釈ではアナルセックス)を直喩しているとして良識人達から大きな反感を買ったという。
ジュ・テーム ジュ・テーム
ああ そうよ ジュ・テーム!
僕は全然
ああ…あなた
停滞する波のように僕はいったりきたり
君の腰の間で僕はいったりきたり
君の腰の間で…そして僕はこらえる
あなたは波、私は裸の島 あなたはいったりきたり
私の腰の間であなたはいったりきたり
私の腰の間で…私はあなたとつながる
性愛は出口なしだ!僕はいったりきたり
私の腰の間であなたはいったりきたり
ダメ!今よ…来て!
同年の12月、二人はパリのバークレイスタジオでこの曲をデュエットし、レコーディングした。
しかし、その生々しい歌詞と官能的な声が夫の怒りを買うと恐れたバルドーが、この曲のリリースを拒否。
この一件をきっかけにしてゲンスブールとバルドーの関係は終焉を迎えることとなる。
その翌年、ゲンスブールは映画『スローガン』(1968年)に俳優として出演する。
その撮影中に、共演者の英国娘ジェーン・バーキンと恋に落ちる。
当時バーキンはまだ二十歳だったにも関わらず、すでに離婚歴があり子持ちだったという。
バルドーとのレコーディングからちょうど一年後の12月に、ゲンスブールはバーキンと共に同曲をロンドンでレコーディングする。
この時、ゲンスブールはバーキンにある要求をした。
「君にはバルドーよりも1オクターブ高いボーイソプラノの声で歌って欲しいんだ」
どうして?と問うバーキンに対して、ゲンスブールはこんな風に説明した。
「この歌のヒロインはアンドロギュノス(両性具有者)でなければならないんだ。」
それはゲンスブール流の“妄想の現実”だった。
バーキンは、マイクに向かってまるで性行為をしている時と同じ“喘ぎ”や“吐息”を出しながら、その要求に応えようとした。
その時にレコーディングされたテイクは、ゲンスブールの創造力をさらに掻き立てることとなり、1975年には自身がメガホンをとった同名の映画『Je t’aime… moi non plus』として具現化されてゆくのだった。
1969年、ゲンスブールとジェーン・バーキンのデュエットでシングル「Je t’aime… moi non plus」はリリースされる。
バルドーとのバージョンが未公開だったため、この曲が世に出たのはこれが最初だった。それまで女優として活動していたバーキンにとって、この曲が歌手としてのデビュー曲となった。
その後、二人は結ばれることとなるがバーキンの希望により法的には結婚せずのまま生活を共にする。
家庭生活は円満でゲンスブールはバーキンの連れ子ケイト・バリーを我が子のように育て、1971年には二人の間に娘のシャルロットが生まれる。
二人にとって“馴れ初め”となったこの曲は“稀代の問題作”として扱われながらも、リリースから程なくしてロンドンから火がつき、数週間でイギリス、オーストリア、ノルウェー、スイスなどの音楽チャートで首位となる。
その一方でイギリスのBBCでは放送禁止となり、フランスのラジオでは23時以前のオンエアを禁止、あのローマ法王庁はレコードの販売を禁止したという。
さらに、イタリアではレコードの配給会社のディレクターが逮捕され、スペイン政府はこの曲をポルノ作品として一般の流通にストップをかけた。
また、ヨーロッパ最大の家電メーカーでありメジャーレコード会社の親会社でもあるフィリップス社は、オランダ女王からの要求で全世界の傘下レーベルに曲の販売を自粛するように命じたという。
「ローマ法王は最高の宣伝マンよ。ブエノスアイレスで販売されたシングル盤が大量に買われてイタリアに輸入されて、マリア・カラスのジャケットに差し替えられて飛ぶように売れていたのよ・笑」(ジェーン・バーキン)
こうしてヒット→回収→権利の譲渡→再流通…再回収を繰り返しながら数種類のシングルジャケットが存在する“伝説の問題作”となったのだ。
コレクターの間で最も高値がつけられたのは、全裸のジェーン・バーキンがジャケットになったイギリス盤シングルだという。
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リリースから17年後となった1986年、バルドーは未発表だった同曲のリリースに同意をする。
この時、彼女から「売り上げは動物保護団体に寄付する」という条件がつけられたという。
<参考文献『ポップ・フランセーズ名曲101徹底ガイド』向風三郎(音楽出版社)>
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