ボブ・ディランの少年時代〜耳を傾けた列車の音、ラジオで聴いた音楽、ひたすら読み漁った本
1941年5月24日、彼はミネソタ州の北東部に位置する街ダルースで生まれる。 出生名はロバート・アレン・ジマーマン。 祖父母はロシアのオデッサ(現ウクライナ)やリトアニアからの移民であり、父エイブラハム・ジマーマンと母ビアトリス・ストーンはアシュケナジム(東欧系)ユダヤ人だった。 彼が6歳になる頃、弟のデイヴィッドを含む一家はメサビ鉄山の鉱山町ヒビングに引っ越しをする。...
View Articleコールマン・ホーキンスを偲んで〜失敗を怖れずに果敢に腕を磨き続けたジャズメンの偉大な功績と足跡
1969年5月19日、“ジャズ・サックスの父”と呼ばれた男コールマン・ホーキンスが肺炎を悪化させこの世を去った。享年64。 スウィングジャズ世代のミュージシャンとしては珍しく、第二次世界大戦後はビ・バップの分野で活躍し、サックス奏者に限らず多くの後進ミュージシャンに影響を与えた。 “Hawk”や“Bean”という愛称で親しまれた彼は、どんな音楽人生を歩んだのだろう?...
View Articleポール・サイモンの秀作「ぼくとフリオと校庭で」が日本で発売された日
1972年(昭和47年)5月21日、ポール・サイモンのソロ名義2ndシングル「ぼくとフリオと校庭で」(CBS・ソニー)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ 2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子 3位「さよならをするために」/ビリーバンバン...
View Article沢田研二の「巴里にひとり」が発売された日
1975年(昭和50年)5月5日、沢田研二の13thシングル「巴里にひとり」(ポリドール)が発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「昭和枯れすゝき」/さくらと一郎 2位「シクラメンのかほり」/布施明 3位「想い出まくら」/小坂恭子 4位「時の過ぎゆくままに」/沢田研二 5位「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド...
View Articleエルモア・ジェイムスを偲んで〜“スライドギターの王様”と呼ばれた男の偉大な足跡と功績
1963年5月24日、“スライドギターの王様”と呼ばれた男エルモア・ジェイムス(享年45)がシカゴにて急逝した。 死因は心臓発作と発表された。 28歳の時に心臓病で入院を経験しており、その後も何度か心臓マヒを起こしたという。 「俺はいつ死ぬかわからない」と周囲に言いながら、その恐怖から逃れるかのように…いつも酒を呑んでいるような生活をしていたという。...
View Articleエディット・ピアフとマレーネ・ディートリヒの特別な友情
エディット・ピアフが生涯肌身離さなかった十字架のペンダントがあるという。 それは女優マレーネ・ディートリヒがピアフのためにカルティエにオーダーし、特別に作らせたものだった。 そのペンダントは二人の友情の証として、ピアフの胸元で輝き続けた…...
View Articleジミー・ロジャースを偲んで〜カントリーミュージックの父と呼ばれた男の功績と、その音楽のルーツ
1933年5月26日、カントリーミュージックの父と呼ばれたジミー・ロジャース(享年35)がニューヨーク市内のホテルで急逝した。 死因は結核による肺出血だった。 カーターファミリーと共にカントリーミュージックの原点の双璧をなす彼の音楽は、その後に発展していくアメリカのロックやポップスに大きな影響を与えている。...
View Articleジョニー・マーの少年時代〜忘れられない音楽体験、アイルランド移民の子として生まれて…
ジョニー・マー。 1980年代にザ・スミスの中心メンバーとして活躍し、オアシスのノエル・ギャラガーや元スウェードのバーナード・バトラーなどといった多くのギタリストにも影響を与えたことでも知られる男である。 1963年、イギリスのマンチェスターでアイルランド系移民の子として生まれた彼は、19歳にしてザ・スミスのギタリストとしてデビューを果たす。...
View Articleロッド・スチュワートとロン・ウッド〜ロンドンのパブで語り合った一夜
1964年、当時、ロッド・スチュワートはザ・フーチー・クーチー・メン(イギリスロック創成期を築いた歌手ロング・ジョン・ボルドリーが率いたバンド)で歌っていた。 ある日、マーキー・クラブのステージに立っていたロッドに、若いマネージメントコンビ、ジョン・ローランズとジェフ・ライトが「僕たちと契約をして欲しい」と持ちかける。...
View Articleロン・ウッドの少年時代〜ホームパーティー好きな両親と二人の兄達から受けた影響
1947年6月1日、彼はロンドンの最西端に位置するヒリンドン自治区で生まれた。 兄弟は後にグラフィックアーティストとして成功した長男アートと次男デッドと彼の三兄弟だった。 一家は彼の誕生後すぐにヒースロー空港北部にある小さな町ユーズリーに引っ越す。...
View Articleビートルズの「オー・ダーリン」が日本で発売された日
オーダーリン どうか信じてくれ もう君を傷つけたりはしない 約束するよ この通りさ オーダーリン 君に捨てられたら 僕ひとりではやっていけない 謝るよ…僕をひとりにしないよ 僕のことなんかもういらないって君が言った時 僕は泣き崩れてしまいそうだった 僕なんかにもう用はないと君が言った時 僕は悲しみのあまり死にたくなったよ...
View Articleニール・ダイアモンドの「Song Sung Blue」」が日本で発売された日
1972年(昭和47年)6月5日、“アメリカでもっとも成功したシンガーソングライターの一人”と呼ばれた男ニール・ダイアモンドの「Song Sung Blue」(ビクター)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ 2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子 3位「さよならをするために」/ビリーバンバン...
View Articleスティーヴン・タイラーとジョー・ペリー〜運命的な出会い、探し求め合っていた“ミッシングリンク”
「1964年から1970年までに俺が在籍したバンドには、足りないものが一つあった。必須の材料が欠けていたんだ。ジョーがその“ミッシングリンク”だった。ミックとキース、ピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリー、キンクスのデイヴィス兄弟みたいな関係ってやつだ。」(スティーヴン・タイラー) 1970年代の初頭、イギリスのバンドがロックシーンを席巻していた。...
View Articleサミー・デイヴィス・ジュニアの少年時代〜3歳の頃から踏み入れたショービジネスの世界
「俺は3歳の頃からショービジネスにどっぷり浸かっていた。寝起きはホテル、下宿屋、移動の車に列車やバス、そして楽屋だった。」 1925年12月8日、彼はニューヨーク州のハーレム地区でアフリカ系アメリカ人の父とプエルトリコ系ユダヤ人の母の間に生まれた。 ユダヤ系の血も引く黒人だった彼は、小柄で痩せていて、特にスタイルが良いわけでもなく、けっして美男とは言いがたい容姿だった。...
View Articleマレーネ・ディートリヒの「リリー・マルレーン」が日本で発売された日
1975年(昭和50年)6月15日、ベルリン出身のハリウッド女優マレーネ・ディートリヒが歌った「リリー・マルレーン」(ビクター)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「昭和枯れすゝき」/さくらと一郎 2位「シクラメンのかほり」/布施明 3位「想い出まくら」/小坂恭子 4位「時の過ぎゆくままに」/沢田研二 5位「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド...
View Articleアレサ・フランクリンの少女時代〜大好きだった母親の死、偉大な父親の存在、十代で経験した出産
「フランクリン家の居間にはグランドピアノがあって、幼いアレサが弾く姿を見て打ちのめされたよ。まだ7歳だというのに複雑なコードを押さえて、節まわしが難しいサラ・ヴォーンの曲などをごく自然に歌うんだ。驚いたね!まさに神童だったよ!」(スモーキー・ロビンソン) 1942年3月25日、彼女はメンフィスにあるルーシーアヴェニュー406番地で生まれた。...
View Articleジェリー・ゴフィンを偲んで〜妻キャロル・キングと幾多の名曲を生み出した作詞家が、別れの後に綴った失恋ソング
「彼の詞は、多くの人々が感じていながら言い表す術(すべ)を知らなかった想いを表現していた。」(キャロル・キング) 2014年6月19日、キャロル・キングの元夫で作詞家のジェリー・ゴフィン(享年75)がロサンゼルスの自宅で死去した。 死因は自然死だったと報じられた。 彼はキャロル・キングと共に「Will You Love Me Tomorrow」や「(You Make Me Feel Like) A...
View Articleジョン・リー・フッカーを偲んで〜“ブギの王様”と呼ばれたブルースマンの足跡と功績
2001年6月21日、“キング・オブ・ブギ”の名で親しまれたブルースマン、ジョン・リー・フッカー(享年80)がカリフォルニア州サンフランシスコ近郊ロス・アルトスの自宅で就寝中に死去した。 死因は老衰・自然死とされている。 彼の活動歴は半世紀にもおよび、そのギター奏法と歌声はブルース〜ロック界へ多大な影響・功績を残している。...
View Article木村充揮と内田勘太郎〜15歳の出会い、ブルースの魔力に惹かれていった二人
「内田と友達になって、どっちも好きな音楽が似とってね。そのうち内田の方がブルースにどんどんハマって行って、僕もだんだんブルースってええなぁと思うようになったんです。」(木村充揮) 1970年、木村充揮と内田勘太郎の二人は憂歌団を結成する。 バンド名は“ブルースバンド”の邦訳で、内田が考えたものだった。...
View Articleジュディ・ガーランドを偲んで〜“史上最高のエンターティナー”と呼ばれたトップスターの光と影
1969年6月22日、アメリカのポピュラー音楽の歴史において大きな功績を残したジュディ・ガーランド(享年47)が滞在先のロンドンで死亡した。 死因は睡眠薬の過剰服用とされているが、一説では自殺とも言われている。 白人女性歌手として初めて大幅に黒人的な発声を取り入れた彼女は、ビリー・ホリデイやジャニス・ジョプリンと同様に“生き急いだ歌姫”として知られている人物である。...
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