ティナ・ターナー27歳〜フィル・スペクターとの出会い、ローリング・ストーンズとのツアー、そしてアイクとの不和の始まり
1960年代の中頃、アイク&ティナ・ターナー・レビューはアメリカにおいて国民的人気を獲得していた。 ティナが27歳を迎えた1966年、彼らはフィル・スペクターのフィリーズレコードと契約を交わしシングル「River Deep – Mountain High」をレコーティングする。 当時破格と言われた金額(25,000ドル)が提示されたその契約には、たった一つだけ条件がつけられた。...
View Articleバート・バカラック少年時代〜8歳から習い始めたピアノ、15歳の頃に出会ったジャズへの憧れ
1928年5月12日、彼はミズーリ州のカンザスシティで生まれた。 両親はユダヤ人だったが、日常的にシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)行くこともなく自分たちがユダヤ人であること特に意識していなかったという。 「ユダヤ人であることについて他人と話すこともなかったし、幼心にも隠しておかなければならないことなのだろうと感じていました。」...
View Articleキャブ・キャロウェイを偲んで〜大恐慌の嵐が吹き荒れたアメリカで黒人エンターテイナーとして最大級の人気を博した男の軌跡〜
1930年代、大恐慌の嵐が吹き荒れたアメリカで“黒人エンターテイナー”の代名詞的な存在だったキャブ・キャロウェイ。 “ズート・スーツ”なる膝まである長い上着と、先細りになっただぶだぶのズボンという奇抜なステージ衣装。 ハンサムですらりとした長身で指揮棒を振るい、オーケストラを指揮するというよりは踊り狂っているような仕草。...
View Articleサイモン&ガーファンクルの「マイ・リトル・タウン」が日本で発売された日
1975年(昭和50年)11月21日、サイモン&ガーファンクルの「マイ・リトル・タウン」(CBS・ソニー)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「昭和枯れすゝき」/さくらと一郎 2位「シクラメンのかほり」/布施明 3位「想い出まくら」/小坂恭子 4位「時の過ぎゆくままに」/沢田研二 5位「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド...
View Articleスティーヴィー・ワンダー27歳〜尊敬するジャズの巨人に捧げた最高の音楽讃歌
1977年6月、27歳になったスティーヴィー・ワンダーはビルボード誌が後援したUCLAでのシンポジウムに出席し、こんな発言している。 「あの曲名は最初から思いついていたけど、曲の中ではいろんなミュージシャンを採り上げようと思っていた。素晴らしい仕事を遺したミュージシャンはたくさんいる。でも、すぐに忘れられがちだ。僕は自分の感謝の気持ちを示したかったんだ。」...
View Articleアニタ・オデイを偲んで〜白人女性ジャズヴォーカルの最高峰と言われた歌姫の足跡を功績
2006年11月23日、“ジャズ界のイゼベル(旧約聖書に登場する王妃)”の異名をとった白人女性ジャズヴォーカルの最高峰アニタ・オデイ(享年87)がロサンゼルスの病院で他界した。 亡くなる数週間前から肺炎の治療のために入院していた彼女は、病院のベッドで睡眠中に心不全を起こして息を取ったという。 彼女はモダンジャズ以降のジャズヴォーカルにおける定番ともいえるスタイルを確立した人物と言われている。...
View Articleキース・エマーソン少年時代〜音楽好きだった父親の影響、最高のクリスマスプレゼント
1944年11月2日、彼はイングランドの北部ヨークシャー州のトッドモーデンで“一人っ子”として生まれた。 ペナイン高地のふもとにあるその小さな町は、かつては繊維工業で栄えたが、第2次世界大戦以降には衰退し、現在はマンチェスターやリースなど近隣の大都市のベッドタウンとなっている。 父親は戦時中だった当時、軍の電信エンジニアとして働いていた。...
View Articleバルバラ27歳〜パリの名門キャバレーとの契約、様々な芸人たちの名演名唱に触れる日々、黒い衣装との出会い
常に黒い衣装に身を包んで歌った孤高のシャンソン歌手、バルバラ。 平和主義者で、エイズ撲滅運動の運動家でもあった彼女。 自伝『それは黒いピアノだった…未完の記録』を執筆半ば、1997年アメリカの病院で呼吸器系の病気のため67歳で死去した。 彼女は1930年にパリで生まれた。 幼少期の頃、彼女の住んでいたパリはナチスの占領下となり、日々死の恐怖に怯えながら暮していたという。...
View Articleクイーンの「伝説のチャンピオン」が日本で発売された日
1977年(昭和52年)11月25日、クイーンの「伝説のチャンピオン」(ワーナー・パイオニア)が発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「渚のシンドバッド」/ピンク・レディー 2位「青春時代」/森田公一とトップギャラン 3位「ウォンテッド」/ピンク・レディー 4位「勝手にしやがれ」/沢田研二 5位「昔の名前で出ています」/小林旭...
View Articleトミー・ドーシーを偲んで〜チャック・ベリーやフランク・シナトラにも多大な影響を与えた白人ジャズ音楽家の足跡と功績
1956年11月26日、ジャズ史上最も美しい音でトロンボーンを吹き “センチメンタル・ジェントルマン”という愛称で親しまれたトミー・ドーシー(享年51)がコネチカット州グリーンウッチにある自宅で死去した。 死因は睡眠薬の過剰摂取とされている。 1930年代から1940年代はスイングジャズの最盛期だった。...
View Articleジャコモ・プッチーニの命日〜イタリアオペラの名作『蝶々夫人』は“最悪の初演”で幕を開けた〜
11月29日はイタリアのオペラ作曲家、ジャコモ・プッチーニの命日です。 彼は「ハーモニカでも吹ける」といわれるほど、シンプルで美しいメロディーを絶妙なハーモニーで聴かせ、一般大衆から絶大な支持を得たオペラの巨匠である。 代表作の一つ『蝶々夫人』の舞台は明治時代の長崎で、日本が舞台ということもありプッチーニの作品の中では日本人に最もなじみの深い作品である。...
View Articleボノ27歳〜ヨシュア・トゥリーの大ヒット、アカデミー賞授賞式で語った印象的なスピーチ
1987年3月、ボノが27歳を迎える2ヶ月前にU2の5thアルバム『The Joshua Tree(ヨシュア・トゥリー)』は発表された。 前作『The Unforgettable Fire(焔-ほのお)』からの3年間、彼らはアフリカ救済、エイズ撲滅などのチャリティーイベントに参加して国際的な知名度を得つつあった。 『The Joshua...
View Articleエルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」が日本で発売された日
1972年(昭和47年)12月1日、エルトン・ジョンの「クロコダイル・ロック」(東芝音工)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ 2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子 3位「さよならをするために」/ビリーバンバン...
View Articleキース・ジャレット少年時代〜神童と呼ばれた高IQの子供、2学年飛ばしで入学した小学校、そしてクラシックからジャズへ
「僕はピアノと共に育ち、人間の言葉とピアノの言葉を同時に覚えた。」(キース・ジャレット) 1945年5月8日、彼はペンシルバニア州アレンタウンで音楽好きの両親のもとに生まれた。 奇しくもその日は、対独戦争の終了を祝うVEデイ(Victory in Europe Day: 第二次世界大戦において連合国がドイツを降伏させたとしてヨーロッパにおける勝利を記念する日)でアメリカ中が喜びに沸き返っていた。...
View Articleスリー・ドッグ・ナイトの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」が日本で発売された日
古いラブソングがラジオから流れてくる… 音楽に包まれて聴こえて来る 決して別れないという恋人たちの約束 きっとこんな歌を聴いたことがあるだろう 取りとめもなく続くスローな歌 二人を連れ戻す必要はない 二人は実際に別れないのだから 1971年(昭和46年)12月1日、スリー・ドッグ・ナイトの「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」(東芝音工)が日本で発売された。...
View Articleトム・ウェイツが初めて音楽を手がけた映画作品『ワン・フロム・ザ・ハート』
「映画音楽を作るのは、他人の夢に曲を付けるようなもんさ。」(トム・ウェイツ) 「ストーリーを歌で語るような映画を作りたかった。演出は基本的に音楽による寓話で、カップルが結ばれ、別れ、それぞれ別の恋をして、また寄りを戻す。ただそれだけの単純なストーリーに、美しい音楽と歌。それだけでいい。」(フランシス・フォード・コッポラ)...
View Articleオノ・ヨーコ少女時代〜大財閥のお嬢様が受けた英才教育
1933年2月18日AM8:30、安田財閥が所有する東京の大きな屋敷で彼女は雪の降る朝に生まれたという。 小野英輔・磯子の間に生まれた三人の姉弟の長女だった。 父親は日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の子であり、ピアニストから銀行員に転じ、彼女が生まれた時は横浜正金銀行のサンフランシスコ支店に勤務していた。 母親の祖父は安田財閥の創始者・安田善次郎だった。...
View Articleジョン・レノン27歳〜敏腕マネージャーの死、インド哲学への傾倒、そしてヨーコとの関係を深めていく日々〜
1967年10月9日、ジョン・レノンは27歳の誕生日を迎えた。 この頃のジョンは深い悲しみの中にいた。 “ビートルズを売り出した男”として知られる男、敏腕マネージャーのブライアン・エプスタインはロンドンの自宅のベッドの上で死体となって発見されて…まだ2ヶ月も経っておらず、ビートルズは混乱と不安を抱えながら日々を過ごしていた。 ブライアンがこの世を去った1967年8月27日。...
View Articleサム・クック少年時代〜牧師だった父親から学んだこと、恵まれた歌の才能、ソウル・スターラーズとの運命的な出会い
1964年12月11日、サム・クック(享年33)がこの世を去った。 それは誰も予測でいない突然の出来事のことだった… その夜、サムはロサンゼルスのハリウッドにある酒場で知り合ったリサ・ボイヤーという女性を「別の店へ行こう」と誘い出し、そのままイタリア製の高級スポーツカーでサウスセントラル地区にあるモーテルにチェックインしたという。...
View Articleアイク・ターナーを偲んで〜ブルースタウンで育った幼少期、B.B.キングとの運命的な出会い、リトル・リチャードに影響を与えたロックンロールピアノ
2007年12月12日、ギター奏者、ピアノ奏者、編曲者、プロデューサーとして活躍したアイク・ターナー(享年76)がカリフォルニア州サンディエゴ郊外サンマルコスの自宅で死去した。 死因は公表されなかったが、一説ではコカインの過剰摂取による肺気腫、高血圧性心臓病を患っていたことが要因と言われている。...
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