春を想う歌・後編 〜イルカのなごり雪
1975年、かぐや姫は解散することとなる。 このとき「イルカに“なごり雪”を是非歌わせたい」と名乗り出たのがイルカの夫・故神部和夫だった。 イルカは19歳で神部と結婚、夫婦でデュオを組んで活動していた。 1974年、当時24歳だったイルカはソロ活動を始め、神部はプロデューサーとしてイルカを支えた。 イルカとかぐや姫といえば、イベント等のステージで一緒に歌ってきた音楽仲間でもあった。...
View Article浅川マキ27歳〜新宿に惹かれた女、新宿が生んだアングラの女王
1969年、浅川マキは劇作家・寺山修司によってその才能と存在感を見出され、シングル「夜が明けたら/かもめ」で再デビューを果たす。 それは、彼女が27歳になった年の出来事だった。 学生運動、70年安保闘争という時代の中、彼女は「アングラの女王」と呼ばれるようになる。 そんな“再デビュー”に至るまで彼女はどんな日々を過ごしてきたのだろう?...
View Articleルビーの指環物語〜ビートルズをモデルにしたプロモーション戦略とは?
「指環」と書いて“ゆびわ”と読ませたこの昭和歌謡を代表するミリオンセラーソングは、寺尾聰の5thシングルとして1981年2月5日にリリースされた。 クレジットには作詞:松本隆、作曲:寺尾聰、編曲:井上鑑と記されている。 当時33歳だった寺尾の歌手としての出世作であり、彼にとって最大の売上を記録した作品である。...
View Articleビッグ・メイベルを偲んで〜アレサ・フランクリンなど後進のソウルクイーン達にも多大な影響を与えた歌姫の功績と軌跡
1972年1月23日、女性R&B シンガーのビッグ・メイベルがオハイオ州クリーヴランドで糖尿病のため死亡した。 若い時代から薬物問題を抱えつつも…47年間の短くも華やかな歌手人生を全うしたという。 あのジェリー・リー・ルイスが長年に渡って“十八番(おはこ)”にしてきた名曲「Whole Lotta Shakin’ Goin’...
View Article襟裳岬〜“何もない春です”と歌われた名曲にまつわる“色々事情あり”な誕生エピソード
北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめてるらしい 理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうち 老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月(としつき)を ひろい集めて 暖めあおう 襟裳の春は 何もない春です この「襟裳岬」は、1974年1月5日に森進一(当時26歳)のシングルとしてリリースされた楽曲だ。...
View Articleライトニン・ホプキンスを偲んで〜稲妻と呼ばれた伝説のブルースマンの足跡と功績
Mojoを手に入れるためにルイジアナに行こう 昨日は冷たい地面を寝床に岩を枕にして眠った そして寝転がって考えた いったいどうしたものだろう? そうだ!Mojo handを手に入れるんだ! そうすりゃあの娘も俺にぞっこんになって 他に男を作らねぇだろう! ライトニン・ホプキンス。 長いブルース史において、最も多くのレコード作品を残した一人として知られている伝説のブルースマンだ。...
View Article東京〜まだ“遠距離恋愛”という言葉がなかった時代に描かれた名曲の誕生秘話
この歌が発売された1974年(昭和49年)と言えば「巨人軍は永久に不滅です」という名台詞を残して長嶋茂雄が現役引退をした年である。 セブンイレブンの第1号店が東京都江東区に出店され、ハローキティが誕生し、モンチッチが流行し、フィンガー5がヒット曲を連発していた時代。 当時はまだ“遠距離恋愛”という言葉が定着していなかったという。 そんな時代に、地方出身の若者たちの心を鷲掴みにした一曲の歌があった。...
View Articleプロフェッサー・ロングヘアを偲んで〜“ロックンロール界のバッハ”と呼ばれた男の足跡と功績
“ロックンロール界のバッハ”と呼ばれた男、プロフェッサー・ロングヘア。 1980年、彼は61歳になった年にニューオーリンズの黒人街の借家で心臓発作を起こしてこの世を去った。 没後、1992年にロックの殿堂入りを果たした伝説のミュージシャンだ。 ニューオーリンズを代表するブルースピアニストだった彼は、本名をヘンリー・ローランド・バードといい「フェス」の愛称でも知られていた。...
View Article20世紀最高峰のメッセージソング「What’s Going on」の誕生秘話
1954年3月から5月にかけてフランス領インドシナ北西部のディエンビエンフーで第一次インドシナ戦争中最大の戦闘があった。 “ディエンビエンフーの戦い”と呼ばれたその戦いは、ベトナム人民軍とフランス軍合わせて約1万人の戦死者を出す。 同戦争の大きな転機となり、フランスはベトナム撤退を余儀なくされることになる。...
View Article悲しい色やね〜大阪弁、女言葉で綴られた名曲はこうして生まれた
1980年代前半…日本では“一億総中流”という言葉が生まれた。 そんな中、関西弁で歌われた一曲のバラードがヒットチャートを駆け上がった。 実力派歌手、上田正樹の歌唱によって1982年にリリースされた名曲「悲しい色やね」。...
View Article恋はみずいろ〜全盛期のビートルズの売り上げを超えた!?インストゥルメンタルの金字塔
1968年2月10日、全米のミュージックチャート史において歴史的な出来事が起きた。 フランス人アーティストによるインストゥルメンタルの楽曲が1位に輝いたのだ。 その記念すべき曲の名は「Love Is Blue」。 フランス語の原題は「L’amour est bleu」、日本タイトルは「恋はみずいろ」と付けられた。 クレジットには作詞ピエール・クール、作曲アンドレ・ポップと記されている。...
View Articleぼくの好きな先生〜高校生時代の忌野清志郎が慕った美術部顧問の教師
「ぼくの好きな先生」は、RCサクセションの記念すべき1stアルバム『初期のRCサクセション』からのシングルカット曲として1972年2月5日、アルバムと同日にリリースされた。 RCの黎明期、つまり忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチの3人編成によるフォークトリオの時代の作品である。...
View ArticlePlease Mr. Postman〜モータウン史上“初のチャート1位”を獲得した名曲
洋楽ファンのみならずとも一度は耳にしたことがある歌ではないだろうか? 今にも踊りだしたくなるリズムに、心がワクワクしてくるような掛け合いのメロディー♪ ビートルズやカーペンターズがヒットさせたことでも有名なこの楽曲。 オリジナルを歌ったのは誰?と問われると、意外と知らない人が多いという。 この「Please Mr....
View Article卒業写真〜ユーミンが実体験を重ねた歌詞に登場する“あの人”の正体とは!?
数多の“卒業ソング”がある中、世代を超えて愛されつづけてきた歌がある。 今日は1975年に荒井由実(現・松任谷由実)が発表したアルバム『COBALT HOUR』の中に収録された名曲「卒業写真」にまつわるちょっと素敵なエピソードをご紹介します。 もともとは同時リリースされたハイ・ファイ・セットのデビューシングルとして書き下ろされたというこの楽曲。...
View Articleリン・アンダーソンの大ヒットソング「Rose Garden」が日本で発売された日
ごめんなさいね… あなたにバラの花園を約束したおぼえはないわ 太陽の光だけじゃなくて 雨だって必要なのよ ギブ&テイクを忘れちゃダメ 自分だけで生きてるわけじゃない 1971年(昭和46年)2月21日、当時23歳だったアメリカのカントリーシンガー、リン・アンダーソンの「Rose Garden」(CBS・ソニー)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば…...
View Article春を想う歌・後編 〜イルカのなごり雪
1975年、かぐや姫は解散することとなる。 このとき「イルカに“なごり雪”を是非歌わせたい」と名乗り出たのがイルカの夫・故神部和夫だった。 イルカは19歳で神部と結婚、夫婦でデュオを組んで活動していた。 1974年、当時24歳だったイルカはソロ活動を始め、神部はプロデューサーとしてイルカを支えた。 イルカとかぐや姫といえば、イベント等のステージで一緒に歌ってきた音楽仲間でもあった。...
View Article気絶するほど悩ましい〜本物志向のCharが切り拓いた“歌謡ロック”という新ジャンル
1960年代に“天才ギター少年”として音楽関係者の間にその名を轟かせていた日本人がいた。 彼の名はChar(チャー)。 当時まだ十代の半ばだったという。 1955年、東京都品川区戸越で生まれた彼は 6歳でピアノを習いはじめ、兄の影響から8歳でギターを手にする。 ベンチャーズやエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックスなどから影響を受けた彼は音楽に没頭する日々を送っていた。...
View Articleぼくたちの失敗・森田童子〜引退から10年後に突如として注目を集めた謎のカリスマ歌手
森田童子。 彼女は、人前ではサングラスを決して外さなかったといわれている。 本名も素顔もすべて謎のアーティストである。 公表しているパーソナルデータといえば…1952年1月15日に東京都で生まれたということくらいだ。...
View Articleかまやつひろしの名曲「どうにかなるさ」
1970年(昭和45年)4月5日、当時ザ・スパイダースに在籍中だったかまやつひろしの「どうにかなるさ」(フィリップス)が発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「黒ネコのタンゴ」/皆川おさむ 2位「ドリフのズンドコ節」/ザ・ドリフターズ 3位「圭子の夢は夜ひらく」/藤圭子...
View Articleゴロワーズを吸ったことがあるかい〜ムッシュかまやつのセンスが光る名曲の誕生秘話
この曲は、もともと“ムッシュかまやつ”ことかまやつひろしが1975年に大ヒットさせたシングル「我が良き友よ」のB面に収録されていた。 A面は、当時フォーク界の大スターだった吉田拓郎による作詞作曲。...
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