ウィルコ・ジョンソン27歳〜ロンドンのパブロックシーンを席巻したドクター・フィールグッド
1970年代初頭からイギリスのパブロック・シーンを牽引し、後のパンク・ムーブメントの火付け役となったドクター・フィールグッドから始まり、ソリッド・センダーズ、ザ・ブロックヘッズ、そしてソロ名義での活動と、長いキャリアを通してロックシーンの大きな足跡を残してきたウィルコ・ジョンソン。...
View Articleウィルコ・ジョンソンとフェンダーテレキャスター〜喉から手が出るほど欲しかった憧れのギターを手に入れるまで
ウィルコ・ジョンソンの“相棒”と言えば、フェンダーテレキャスターである。 「そのテレキャスターはサウスエンドの楽器屋のショーウィンドウに陳列されていたが、とても手が出ないほどの高価だった。一般的な労働者階級の平均賃金が1週につき15〜20ポンドだった時代に、そのテレキャスターは107ポンドの値札をつけていた。俺は生まれて初めてこれほどまでに欲しいという対象に出会ってしまった」...
View Articleフレディ・マーキュリー死の直前〜死を受け入れながら過ごした日々
1986年10月。英国のマスコミは、人気ロックバンドのクイーンのヴォーカリストであるフレディ・マーキュリーが、ロンドン・ハーレー街(上流階級の住宅地区)の診療所で、HIVの血液検査を受けたと報じた。 当時、日刊タブロイド新聞<ザ・サン>のリポーターが、日本から戻って来たばかりのフレディにヒースロー空港でインタビューしたが、この時フレディは病気を否定した。...
View Articleデビュー前の青春時代〜パティ・スミス27歳
写真家ロバート・メイプルソープは、デビュー前のパティ・スミスに対して、いつもこう言っていたという。 「パティ。僕らみたいに世界を見る奴なんて、誰もいないんだよ」 1974年、27歳のパティ・スミスは、ニューヨークの住人となって7年目を迎えていた。その翌年、パティはデビューアルバム『Horses』を発表する。...
View ArticleHorses〜アルバムジャケットの誕生秘話、写真の中の瞳が世代を超えて語るメッセージとは?
私はモノクロのジャケットを見つめた。私はアルバムの隅々まで眺めた。私は全ての曲を盤が磨り減るまで聴いた。全てが計り知れない意味を秘めていた。それは私の人生を変えた。『Horses』は深く精神的な影響を私に与えた。 ──D・D・フェイ(ロンドン在住のジャーナリスト、ニック・ジョンストンの友人)...
View Articleオジー・オズボーン生い立ち〜労働者階級の貧しい暮らし、盗みに手を染める日々、人生を変えたビートルズ
メタル界のレジェント的存在として、絶大な人気を誇るオジー・オズボーン。幾度もの変遷を経ながら、約50年近くにわたって活動を続けた、英国を代表するハードロックバンド、ブラック・サバスの創設メンバー(在籍期1968年-1977年、1978年-1979年、1985年、1997年-2017年)としても知られる男である。...
View Articleオジー・オズボーン27歳〜酒に溺れてゆく日々、ブラック・サバスからの脱退、危篤状態の父が口にした最期の言葉
メタル界のレジェント的存在として、絶大な人気を誇るオジー・オズボーン。幾度もの変遷を経ながら、約50年にわたって活動した、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルと並ぶ“三大ハードロックバンド”に数えられるブラック・サバスの創設メンバー(在籍期1968年-1977年、1978年-1979年、1985年、1997年-2017年)としても知られる男である。...
View Article駅〜今はなき東急東横線旧渋谷駅が舞台となった竹内まりやの名曲
この楽曲「駅」は、1986年に竹内まりやが中森明菜のアルバム『CRIMSON』への提供曲として書き下ろしたもの。翌1987年11月には自身の16枚目のシングルとしてリリースし、以降、彼女の代表曲として長きにわたってファンに愛され続けている。...
View Article身も心も疲れ果てて〜トム・ウェイツ27歳
1976年にトム・ウェイツが発表した6分40秒の名曲「Tom Traubert’s Blues」は、こんな歌い出しから始まる。 疲れ果てて傷ついてしまったんだ 月のせいじゃねぇ 身から出た錆ってことよ 明日会おうな おい、フランク 2〜3ドル貸してくれねぇかな 放浪の旅に出よう、そう旅をするんだ お前は俺と一緒に旅に出るんだ...
View ArticleXmasの歌〜ミネアポリスの女からのクリスマスカード
この時期に使える、“Xmas雑学”をちょこっと。 それは、12月25日にイエス・キリストの降誕を祝うキリスト教の年中行事。一説によると、キリスト教伝来以前にゲルマン人やケルト人が盛大に祝っていた冬至の祭が起源で、これと結びついたのではないか?とも言われている。...
View Article土曜の夜(Looking for) The Heart of Saturday Night〜70年代初期にトム・ウェイツが描いたアメリカの寂れた裏通り
行き交う車のエンジン音、クラクション、靴音…夜の街の雑踏に溶け込んでゆくような穏やかなイントロに導かれて、あの“しゃがれ声”が語るように歌い出す。 カワイコちゃんをちょいと口説いて 自慢の車の中でその娘の肩に腕をまわす そんな事を想いながら… 土曜の夜の相手を求めて車を飛ばす 1974年に発表されたトム・ウェイツの2ndアルバム『The Heart Of Saturday...
View Articleトム・ウェイツが初めて音楽を手がけた映画作品『ワン・フロム・ザ・ハート』
「映画音楽を作るのは、他人の夢に曲を付けるようなもんさ」(トム・ウェイツ) 「ストーリーを歌で語るような映画を作りたかった。演出は基本的に音楽による寓話で、カップルが結ばれ、別れ、それぞれ別の恋をして、また寄りを戻す。ただそれだけの単純なストーリーに、美しい音楽と歌。それだけでいい。」(フランシス・フォード・コッポラ)...
View Articleジョン・レノン27歳〜敏腕マネージャーの死、インド哲学への傾倒、そしてヨーコとの関係を深めていく日々〜
1967年10月9日、ジョン・レノンは27歳の誕生日を迎えた。この頃のジョンは、深い悲しみの中にいた。 “ビートルズを売り出した男”として知られる男、敏腕マネージャーのブライアン・エプスタインがロンドンの自宅のベッドの上で死体となって発見された。まだ2ヶ月も経っておらず、ビートルズは混乱と不安を抱えながら日々を過ごしていた。...
View Articleコーヒーの歌〜清志郎とチャボ、珈琲色の思い出
1970年代の終わり頃、忌野清志郎率いるRCサクセションは「フォークグループ」から「ロックバンド」へと変貌を遂げようとしていた。その頃、古井戸を解散させたばかりの仲井戸“CHABO”麗市が、ギタリストとしてRCに参加する。...
View ArticleCigarettes and Coffee〜黒人歌手オーティス・レディングが歌ったラブソングの背景にある“自由に対する至上の喜び”とは!?
煙草の歴史と煙草の歌をご紹介します。 煙草のルーツに関して多くの文献に綴られているのが、メキシコのチアパス州にあるパレンケ遺跡のレリーフ(浮き彫り)だ。 この遺跡はマヤ文明が遺したもので、“十字架の神殿”と呼ばれる神殿内の石柱に煙草の起源が彫られているという。...
View Articleサム・クックとモハメド・アリ〜黒人公民権運動のもと、不思議な縁に導かれた二人のスター
1963年、サム・クック(当時32歳)は、伝説のボクサーのモハメド・アリ(当時21歳)と初めて出会った。 この頃、サムはすでに黒人R&Bヴォーカリストとして大スターの座を獲得しており、その人気ぶりはアリにとっても憧れの対象だった。一方、アリはプロ転向して次々にタイトルマッチで勝利し、まさに“快進撃”を続けている時期だった。...
View Articleサム・クック少年時代〜牧師だった父親から学んだこと、恵まれた歌の才能、ソウル・スターラーズとの運命的な出会い
1964年12月11日、サム・クック(享年33)がこの世を去った。それは誰も予測できない突然の出来事のことだった。 その夜。サムは、ロサンゼルスのハリウッドにある酒場で知り合ったリサ・ボイヤーという女性を、「別の店へ行こう」と誘い出し、そのままイタリア製の高級スポーツカーに乗り込み、サウスセントラル地区にあるモーテルにチェックインした。...
View Articleアイク・ターナーを偲んで〜ブルースタウンで育った幼少期、B.B.キングとの運命的な出会い、リトル・リチャードに影響を与えたロックンロールピアノ
2007年12月12日、ギター奏者、ピアノ奏者、編曲者、プロデューサーとして活躍したアイク・ターナーが、カリフォルニア州サンディエゴ郊外サンマルコスの自宅で死去した。享年76。 死因は公表されなかったが、一説ではコカインの過剰摂取による肺気腫、高血圧性心臓病を患っていたことが要因と言われている。...
View Articleあんたのバラード〜解散を決めていたバンドが掴んだレコードデビューのチャンス、裏事情を抱えながら世良公則がプロを決断した理由とは?
世良公則&ツイストのデビュー・シングル「あんたのバラード」は、1977年11月25日にリリースされた。クレジットには作詞作曲:世良公則と記されている。 同曲は、発売前月にポプコン本選会でグランプリを獲得した。フォーク系シンガーの登竜門として知られたポプコンで、ロックバンドがグランプリを獲るのは初めてのことで、当時はひとつの“事件”として大きな話題となった。...
View Articleゴダイゴの「モンキー・マジック」が発売された日
1978年(昭和53年)12月25日、ゴダイゴの「モンキー・マジック」(日本コロムビア)が発売された。同年の国内ヒットソングといえば… 1位「UFO」/ピンク・レディー 2位「サウスポー」/ピンク・レディー 3位「モンスター」/ピンク・レディー 4位「君のひとみは10000ボルト」/堀内孝雄 5位「微笑がえし」/キャンディーズ...
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