サン・トワ・マミー〜日本人にも愛されたシャンソンの名曲にまつわるいくつかのエピソード
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、メランコリックで親しみやすいメロディー。この「サン・トワ・マミー(Sans Toi M’amie)」は、ベルギーの歌手サルヴァトール・アダモの代表曲の一つ。 ※翻訳者の解釈によっては「サン・トワ・マ・ミー」と表記される場合もある 作詞作曲ともに、「雪が降る(Tombe la Neige)」「ろくでなし(Mauvais...
View Articleろくでなし〜ベルギーの人気歌手アダモが二十歳の時に書いた、ヤケクソ気分の失恋ソング
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、メランコリックで親しみやすいメロディー。この「ろくでなし(Le mauvais garçon)」は、ベルギーの歌手サルヴァトール・アダモの代表曲の一つ。 「雪が降る(Tombe la Neige)」「サン・トワ・マミー(Sans Toi M’amie)」などのヒット曲と同じく、アダモ自身が作詞作曲を手がけたものだ。...
View Articleオー・シャンゼリゼ〜ロンドンで誕生したメロディーが辿った運命、そもそもフレンチポップでもシャンソンでもなかった!?
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、このポップなメロディー。「オー・シャンゼリゼ(原題:Les Champs-Élysées)」は、パリのシャンゼリゼ通りをモチーフとした歌曲として広く知られている。...
View ArticleSave The Last Dance For Me(ラストダンスは私に)〜車椅子の作詞家が最愛の妻に贈った究極のラブソング
この「Save The Last Dance For Me(ラストダンスは私に)」は、越路吹雪の十八番(おはこ)として広く知られていたため、日本ではシャンソンと思っている人が少なくない。 越路のマネージャー兼生涯の親友だった岩谷時子が、多くのシャンソンに日本語訳をつけていたことも理由のひとつかもしれない。しかし、この歌はフランスで生まれのシャンソンではなく、アメリカ産のポップスなのだ。...
View Articleレナード・コーエン27歳〜輝き始めた希代の詩人
自由を追い求め、恋多き人生を歩んできた男、レナード・コーエン。 “詩人”としてのキャリアをスタートさせたのは大学時代だった。カナダの名門公立大学に通いながら、詩を書き始めたコーエンは、同時に恋にも目覚める。そして恋をするたびに新しい詩が生まれた。その“自由”を求め続ける恋多き人生は、この時期から本格的に始まった。コーエンは恋愛についてこう語っている。...
View ArticleBird On The Wire〜電線の鳥
レナード・コーエンの代表曲「Bird On The Wire(電線の鳥)」は、こんな一節から始まる。 電線の上の一羽の鳥のように 真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように 俺は自分なりのやり方で自由になろうとした 1967年、33歳で遅咲きのデビューを果たしたコーエンは、1950年代後半から約十年間にわたって、漂泊の日々を過ごしていた。...
View Articleジョニ・ミッチェルが恋した詩人レナード・コーエン
ローリング・ストーン誌『The 500 Greatest Albums of All Time』において、女性ソロアーティスト最高位(30位)に選ばれたジョニ・ミッチェルのアルバム『Blue』。 カナダからニューヨークに移り住み、24歳でデビュー。“恋多き女”と呼ばれたミッチェルが1971年(27歳)に放った、この名盤のオープニングを飾る「All I Want」の歌詞にはこんな言葉が並ぶ。...
View Articleレナード・コーエンを偲んで〜ジョニ・ミッチェルとの“短い恋”そして“長い友情
2016年の11月7日に、82歳でこの世を去ったレナード・コーエン。晩年は、ガンでの闘病生活を続けていた。健康状態の悪化にも拘らず、死の間際まで精力的に音楽活動を続け、亡くなる前月の10月にリリースされたニューアルバム『You Want It Darker』の他にも、2つの音楽プロジェクトと詩集の刊行を予定していたという。...
View Articleリッキー・リー・ジョーンズとトム・ウェイツの恋物語
リッキー・リー・ジョーンズが、トム・ウェイツと出会ったのは1977年、22歳のときだった。歌手としての成功を夢見て、ナイトクラブやコーヒーショップなどで歌っていた頃。 19歳で家出をしてロサンゼルスへやってきた彼女は、当時、住む家もないまま、友人のアパートなどを転々としながらウェイトレスとして働いて生計を立てていた。...
View Articleカリフォルニア〜カナダ出身のジョニ・ミッチェルが歌った、ありのままの自分を受け入れてくれる場所
ジョニ・ミッチェルの歌に「California」という名曲がある。それは彼女が1971年に放った不朽の名盤『Blue』に収録されていた。 フランスのパリの公園に座って新聞を読んでいる 酷いニュースばかり 彼等は平和のことなど考えていないのよ 平和はひと握りの人が考えていた夢にすぎないのよ まだ見たいところはたくさんあるわ でも、もうここにはいたくない...
View ArticleBig Yellow Taxi〜環境問題に鋭く切り込んだジョニ・ミッチェルの名曲はこうして生まれた
「Big Yellow Taxi」は、ジョニ・ミッチェルが1970年の4月に発表した3rdアルバム『Ladies of the Canyon』からシングルカットされた楽曲だ。環境問題をテーマにした歌で、彼女が自身で吹き込んだ曲としては、最初にヒットしたシングルとなった。 彼らは楽園を掘りおこし舗装して 駐車場とピンクのホテル それにブティックとディスコを建てた でもそれってよくある話じゃない?...
View Articleジョニ・ミッチェル少女時代〜9歳から吸っていた煙草、ポリオ感染の辛い経験がもたらした神秘的な感覚、フォークブームから受けた刺激
1943年11月7日、ジョニ・ミッチェルは、カナダのアルバータ州のフォート・マクラウドで誕生した。父方の祖先はノルウェー人で、母方の祖先はスコットランド人とアイルランド人だった。...
View Article女性アーティストたちの才能が開花した70年代
ジョニ・ミッチェル、リンダ・ロンシュタット、カーリー・サイモン、キャロル・キング、エミルー・ハリス、ボニー・レイット、オリビア・ニュートンジョン……。 彼女たちは皆、1970年代のミュージックシーンにおいて、その才能を開花させた女性アーティストである。 ──それは1970年8月の出来事だった。...
View Articleマスカレード〜虚しい恋のゲームを仮面舞踏会に喩えたレオン・ラッセルの名曲
この歌は、スワンプロックの創始者で、エリック・クラプトンなどに多大な影響を与えたレオン・ラッセルが1972年に発表したもの。 当時は、自身の3rdアルバム『Carney』からシングルカットされた、「タイトロープ(Tight Rope)」のB面曲として収録されていた。 「マスカレード(This...
View Articleニール・ヤング Don’t Be Denied 僕を否定しないで〜小児麻痺の後遺症、学校でのイジメ、両親の離婚、音楽への目覚め
1945年11月12日。ニール・ヤングは、カナダ・オンタリオ州トロントで生まれた。父親はジャーナリストで、当時『トロント・グローブ・アンド・メイル』紙の有能なスポーツ記者だった。母親はドーターズ・オブ・ジ・アメリカン・レボリューション(アメリカ革命の娘という意味で、アメリカ独立戦争当時の精神を継承しようとする女性団体)の会員だった。...
View Articleキャブ・キャロウェイ〜大恐慌の嵐が吹き荒れたアメリカで黒人エンターテイナーとして最大級の人気を博した男の軌跡〜
1930年代、大恐慌の嵐が吹き荒れたアメリカで、“黒人エンターテイナー”の代名詞的存在だったキャブ・キャロウェイ。 “ズート・スーツ”なる膝まである長い上着と、先細りになっただぶだぶのズボンという奇抜なステージ衣装。ハンサムですらりとした長身で指揮棒を振るい、オーケストラを指揮するというよりは、踊り狂っているような仕草。...
View Article死んだ男の残したものは〜鉄腕アトムの主題歌で知られる詩人・谷川俊太郎が書いた反戦歌
この「死んだ男の残したものは」という歌は、1965年(昭和40年)に生まれた。作詞は、あの「鉄腕アトム」の主題歌を手掛けた日本を代表する詩人・翻訳家・絵本作家・脚本家の谷川俊太郎(当時34歳)によるもの。...
View Article谷川俊太郎とプロテストソング①〜テロの脅威や格差社会を予知していた歌「おしっこ」
この歌の作詞は、あの「鉄腕アトム」の主題歌の歌詞を手掛けた日本を代表する詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家の谷川俊太郎によるもの。作曲は谷川の詩を誰よりも深く理解し、これまでも多く共作してきた小室等である。...
View Article谷川俊太郎とプロテストソング②〜中島みゆきにデビューのチャンスを辞退させた詩「私が歌う理由」
1960年代、アメリカでは若者たちの間でフォークソング・ムーブメントの風が吹き荒れていた。ベトナム戦争に対しての新しい反戦歌が次々に作られ、ジョーン・バエズ、バフィー・セントメリー、フィル・オクス、トム・パクストンなど、若いフォークシンガーたちは頭角をあらわしていた。 そんな中、ボブ・ディランの「Blowin’ in the...
View Articleアニメ作品が生んだ名曲たち「鉄腕アトム」〜作詞者・谷川俊太郎の戸惑いと驚き
カラオケでアトムを歌って涙ぐむ中高年がいると聞いたことがあります。子ども時代、青春時代を懐かしむ気持ちなのでしょうが、アトムという存在そのものが、哀しみと言うしかない何かを負っていることを、現代文明を生きる私たちが心のどこかで感じているからではないでしょうか。(詩人・谷川俊太郎)...
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