シド・ヴィシャスの死〜革ジャンのポケットから発見された直筆の遺書
パンクのアイコン的存在として現代の若者やカルチャーにも影響を与え続けているシド・ヴィシャス。 1979年2月2日、彼は麻薬の過剰摂取によってこの世を去った。享年21。 彼のデビューパフォーマンスとなったセックスピストルズのギグを撮影していたことでも知られる映画監督ドン・レッツは、彼のことをこう回想している。 「シドはいつもトラブルに巻き込まれてた。マヌケだったからな。愛されるバカだったよ…。」...
View Articleプロコル・ハルムの名曲「青い影」にまつわるいくつかの逸話
ビートルズが伝説の名盤『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を発表した1967年、同じイギリスで一曲の名曲が誕生した。 ゆったりとしたスケールの大きなメロディーと、印象的なオルガンのフレーズは、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないだろうか? 日本では一般的に「青い影」のタイトルで知られているこの「A Whiter Shade of...
View Articleサミー・デイヴィスJr.を偲んで①〜片目を失った“史上最高のエンターテイナー”の生い立ちと、成功への軽やかなステップ
1990年5月16日、サミー・デイヴィスJr.は64歳でこの世を去った。 もともと葉巻を片手にステージに立つほどのヘヴィースモーカーだったことから喉頭癌を患い、ビバリーヒルズにある自宅で静かに人生の幕を降ろした…。 その亡骸はカリフォルニア州グレンデールにある墓地に埋葬された。...
View Articleサミー・デイヴィスJr.を偲んで②〜“史上最高のエンターテイナー”がステージで歌い続けた落ちぶれたダンサーの歌
歌、ダンス、モノマネ、巧みなトーク、そしてトランペット、ドラム、ビブラフォンの演奏、映画やテレビでの演技など、様々な“芸”を極め「Mr.エンターテインメント」と称されたサミー・デイヴィスJr.。 そんな彼が40代からこの世を去るまでの約20年間、ステージで大切に歌った“一曲”がある。 その曲の名は『Mr.ボー・ジャングルス』。...
View ArticleThe Entertainerを聴きながら〜“ラグタイムの王”と呼ばれたスコット・ジョプリンの偉大なる功績
アメリカの名優ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演した映画『スティング』(1973年)といえば、第46回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、音楽賞の7部門で受賞した名作として広く知られている。...
View Articleデューク・エリントンを偲んで〜ジャズ界に偉大な功績を残した“公爵(デューク)”の足跡
作家の村上春樹は著書の中で、デューク・エリントンについてこんな風に綴っている。 天才というのは往々にして短気でせっかちで短命なものだが、彼はその才気溢れた人生を、まことに優雅に、まことにたっぷりと、まことにマイペースで生きた。 見事に“生ききった”と言うべきか…。 そしてその奇跡的なまでに豊かな音楽的水脈は、広い平野の隅から隅までを、余すことなく潤した。...
View ArticleI Gotta Find Peace of Mind〜ローリン・ヒルが“一度死んで”手にしたものとは?
ローリン・ヒル。 現在のアメリカ音楽シーンにおいて、その一挙手一投足が注目される最重要人物である。 90年代を代表するヒップホップ・グループのひとつ、フージーズ(The Fugees)としての活動や、映画『天使にラブ・ソングを2』の出演などで知られる彼女。 ソロアーティストとしてリリースした名作『The Miseducation of Lauryn...
View Articleジミ・ヘンドリックス少年時代〜星や宇宙が大好きだった男の子、そしてギターとの出会い
1942年11月27日、ワシントン州シアトルは氷点下の寒さだった。 午前10時15分、キング郡立病院の分娩室で4000グラムの男の子が誕生した。 出生時の名前はジョニー・アレン・ヘンドリックスで、母親ルシールによって名付けられた。 父親アル(ジェームズ・アレン・ヘンドリックス)は、アフリカ系の父とチェロキーインディアンの母との間に生まれたブラックインディアンだった。...
View Articleリッキー・リー・ジョーンズとトム・ウェイツの恋物語
彼女がトム・ウェイツと出会ったのは1977年、22歳のときだった。 歌手としての成功を夢見てナイトクラブやコーヒーショップなどで歌っていた頃。 19歳で家出をしてロサンゼルスへやってきた彼女は、当時住む家もないまま友人のアパートなどを転々としながらウェイトレスとして働いて生計を立てていた。 そんなある日、ロサンゼルスでも有名なクラブ、トルヴァドールで歌うチャンスを得る。...
View Article愛されつづけるロン・ウッド〜憧れのローリング・ストーンズに加入したターニングポイント
「ロニーとはストーンズに入る前から一緒にプレイしているんだ。ヤツと一緒にやるのは楽しくてね。ある時から“ロニーはストーンズに入るべきだ”と思うようになった。ヤツも同じように感じていたと思うよ。ヤツがまだ始めたばかりの頃、ストーンズを観て“こんな風になってやる”って思ったらしいからな。」(キース・リチャーズ)...
View Article浅川マキが愛した名曲〜ビリー・ホリデイの“奇妙な果実”を聴きながら
生前、浅川マキはステージでこの曲を歌う時に、こう呟いて唄いだすのだった。 「白人のリンチにあって、黒人が木に吊るされている。なんと奇妙な果実ではないか…」 1942年1月27日、浅川マキは石川県石川郡美川町という漁師町で生まれる。 家が五軒しかないという集落で、妹と共に過ごした幼い頃に「美空ひばりを聴いて育った」という。...
View ArticleCigarettes and Coffee〜黒人歌手オーティス・レディングが歌ったラブソングの背景にある“自由に対する至上の喜び”とは!?
今日は煙草の歴史と煙草の歌をご紹介します。 煙草のルーツに関して多くの文献に綴られているのが、メキシコのチアパス州にあるパレンケ遺跡のレリーフ(浮き彫り)だ。 この遺跡はマヤ文明が遺したもので、“十字架の神殿”と呼ばれる神殿内の石柱に煙草の起源が彫られているという。 チューブ状のものを口にくわえ、先端から煙を吹かす人の姿は、擬人化された神が煙草をくゆらせる姿を表現しているといわれいる。...
View Articleロニー・レーンを偲んで〜琴線に触れる“ロッキンフォーク”を紡いだ男の功績と足跡
1997年6月4日、アメリカ合衆国コロラド州ラスアニマス郡にあるトリニダードという小さな街で一人の才能豊かなミュージシャンがこの世を去った。 彼の名はロニー・レーン。 イギリス出身の彼は、スモール・フェイセズ、そしてフェイセスのメンバーとして活躍したことで知られた男だ。 バンド時代はベーシストとしてのイメージが強いのだが、作曲家、クリエイターとしてのセンスは秀逸だった。...
View ArticleRain Dogs〜トム・ウェイツが80年代に発表した名盤にまつわるいくつかの逸話
壊れた置き時計の中 ワインをまき散らす 雨の犬たちと一緒になって… タクシー、俺たちゃ歩いた方がよさそうだ 雨の犬たちと一緒に戸口めざし一目散 だって俺も雨の犬だからね… このタイトルナンバーを含むアルバム『Rain Dogs』は、1985年にトム・ウェイツがリリースした名盤だ。...
View Articleフレディ・マーキュリー死の直前〜死を受け入れながら過ごした日々
「波乱万丈だし、馬鹿でかい問題も抱えていたけど、でも素晴らしい人生を送ることができて悔いはないよ。やだなぁ…これじゃエディット・ピアフだね。」 1986年10月、イギリスのマスコミはフレディがロンドン・ハーレー街(上流階級の住宅地区)の診療所でHIVの血液検査を受けたと報じた。...
View ArticleI’ve Got Life!私は生きている!〜伝説の歌手ニーナ・シモンのドキュメンタリー映画&トリビュートアルバムの誕生秘話
「Ain’t Got No…I’ve Got Life」/ニーナ・シモン 私には家がない 靴もない 金もなければ 品もない 土地もなければ 信じるものもない 頼る教会もないし 祈る神もいない じゃあ、私には何があるの? 私には何があるのか教えて 私はなんで生きてるの? 時代を越えて、人々を惹きつけて止まないニーナ・シモン。...
View Articleミック・ジャガー27歳〜悪魔的なカリスマ性、そして最初の妻ビアンカとの出会い
ローリング・ストーンズにとって60年代は、ブライアン・ジョーンズの死とオルタモントの悲劇という“衝撃的な出来事”と共に幕を閉じた。 そして1970年の夏、ミック・ジャガーは27歳を迎えた。 その頃、ミックは恋人マリアンヌ・フェイスフルがイタリア男の腕の中へと去ってしまった心の穴を埋めるかのように、毎晩違う女性を連れ込んで寝るようになっていた。...
View Articleルート66〜アメリカ文化発祥の“マザーロード(母なる道)”を突っ走れ!
いつか君が車で西部に行くんだったら 僕が薦めるこのハイウェイ こいつが一番さ ルート66を突っ走れ! シカゴからLAまで風が吹き抜ける 2000マイル以上の曲がりくねった道 ルート66を突っ走れ! アメリカ合衆国の東西、シカゴからLAサンタモニカを結ぶ全長3755kmの一本道、ルート66。 なんと、日本列島の全長約3000kmよりも長い距離だというから驚きだ。...
View Articleキース・エマーソン27歳〜ELPの成功、高額な収入と裏腹に増してゆく自分への違和感
1970年、当時26歳だったキース・エマーソンは、元キング・クリムゾンのグレッグ・レイク、アトミック・ルースターのカール・パーマーとエマーソン・レイク・アンド・パーマー (ELP) を結成する。 同年の11月、著名なバンドで名を知られたメンバーが集結したELPのデビューアルバム『Emerson, Lake & Palmer』が、リリース直後に全英チャート4位、全米チャート18位を獲得する。...
View Articleウィルコ・ジョンソンとフェンダーテレキャスター〜喉から手が出るほど欲しかった憧れのギターを手に入れるまで
「そのテレキャスターはサウスエンドの楽器屋のショーウィンドウに陳列されていたが、とても手が出ないほどの高価だった。一般的な労働者階級の平均賃金が1週につき15〜20ポンドだった時代に、そのテレキャスターは107ポンドの値札をつけていた。俺は生まれて初めてこれほどまでに欲しいという対象に出会ってしまった。」 ウィルコ・ジョンソンの“相棒”と言えば、フェンダーテレキャスターである。...
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