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Channel: 佐々木 モトアキ – TAP the POP
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時代おくれ〜バブル景気の真っ只中に阿久悠が見据えていた“日本の姿”とは?

1986年(昭和61年)と言えば、日本がバブル景気に突入した年。 そんな時代に河島英五がCBS・ソニー移籍第1弾として発表したのがこの「時代おくれ」だった。 発売当初の売り上げは芳しいものではなかったというが、白鶴酒造のコマーシャルソングに起用され、サラリーマン世代やシニア層に支持された結果、同年の『日本有線大賞』で特別賞を受賞した。...

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たどりついたらいつも雨ふり〜吉田拓郎が書き下ろしたザ・モップスの代表曲

この「たどりついたらいつも雨ふり」は、ザ・モップスの12枚目のシングルとして1972年7月5日にリリースされた“70年代の名曲”である。 作詞作曲は、当時“フォークブームの立役者”として活躍していた吉田拓郎。 この歌には原曲があるという。 拓郎がまだ地元の広島でアマチュアとして活動していた頃に所属していたバンド“ダウンタウンズ”の曲で、当時は「好きになったよ女の娘」というタイトルだった。...

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ジェリー・ゴフィンを偲んで〜妻キャロル・キングと幾多の名曲を生み出した作詞家が、別れの後に綴った失恋ソング

「彼の詞は、多くの人々が感じていながら言い表す術(すべ)を知らなかった想いを表現していた。」(キャロル・キング) 2014年6月19日、キャロル・キングの元夫で作詞家のジェリー・ゴフィン(享年75)がロサンゼルスの自宅で死去した。 死因は自然死だったと報じられた。 彼はキャロル・キングと共に「Will You Love Me Tomorrow」や「(You Make Me Feel Like) A...

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RCサクセションのヒット曲〜サマーツアーの歌詞に秘められたソウルフルな“隠し味”とは!?

RCサクセションが1982年の6月にリリースした12枚目のシングル「サマーツアー」にまつわる逸話をご紹介します♪ この楽曲のクレジットは忌野清志郎と仲井戸麗市の共作となっている。 同年10月にRCがリリースしたアルバム『BEAT POPS』にも、この「サマーツアー」のライブバージョンが収録された。...

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ジョン・リー・フッカーを偲んで〜“ブギの王様”と呼ばれたブルースマンの足跡と功績

2001年6月21日、“キング・オブ・ブギ”の名で親しまれたブルースマン、ジョン・リー・フッカー(享年80)がカリフォルニア州サンフランシスコ近郊ロス・アルトスの自宅で就寝中に死去した。 死因は老衰・自然死とされている。 彼の活動歴は半世紀にもおよび、そのギター奏法と歌声はブルース〜ロック界へ多大な影響・功績を残している。...

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デヴィッド・ボウイとミック・ロンソン〜グラムロック創成期を築いた黄金コンビの出会い

デヴィッド・ボウイがグラムロックに傾倒した70年代、彼の横でGibsonレスポールをかき鳴らす金髪のギタリストがいた。 “ロノ”という愛称で呼ばれていたその男の名はミック・ロンソン。 彼はそれまで数々のバンドを渡り歩いた後、1967年にザ・ラッツというバンドに参加する。 そのバンドのメンバーの誘いで、ロノはデヴィッドと運命の出会いを果たす。 1969年、デヴィッドは2ndアルバム『Space...

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気絶するほど悩ましい〜本物志向のCharが切り拓いた“歌謡ロック”という新ジャンル

1960年代に“天才ギター少年”として音楽関係者の間にその名を轟かせていた日本人がいた。 彼の名はChar(チャー)。 当時まだ十代の半ばだったという。 1955年、東京都品川区戸越で生まれた彼は 6歳でピアノを習いはじめ、兄の影響から8歳でギターを手にする。 ベンチャーズやエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックスなどから影響を受けた彼は音楽に没頭する日々を送っていた。...

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奇妙な宇宙船に乗って旅立っていった男〜ジャズ界の鬼才エリック・ドルフィーを偲んで

『Out There (1960)』/エリック・ドルフィー 今日は、ロサンゼルス生まれのジャズ・サックス奏者エリック・ドルフィー(享年36)の命日です。 卓越した技巧と独特のアドリブフレーズで知られるサックス演奏の他に、フルートやクラシックにおいて使用されるのが主だったバスクラリネットをジャズの独奏楽器として用いたことで、後のジャズ奏者に多大な影響を与えた男である。...

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カサブランカ・ダンディ〜男がピカピカのキザでいられた時代とは?

1979年2月1日、沢田研二の26枚目のシングル「カサブランカ・ダンディ」がポリドールレコードから発売された。 この年のジュリーと言えば同曲に始まり「OH!ギャル」を経て「ロンリー・ウルフ」、そして年末にはアルバム『TOKIO』をリリースし、とにかくノリにノッていた時期である。 さかのぼること4年… 彼は公私共に“変化の時期”を迎えている。...

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ヘディ・ウエストを偲んで〜その足跡と名曲「500 Miles」の源流を辿る旅

2005年7月3日、名曲「500 Miles(500マイルも離れて)」で知られるアメリカの歌手ヘディ・ウエストが闘病の末に癌で亡くなった。享年67だった。 今日は女性フォーク歌手の草分け的存在だった彼女を偲んで…その足跡と名曲にまつわるエピソードをご紹介します。 1938年4月6日、ジョージア州ギルマー郡で生まれた彼女は4歳でピアノを始め、ハイスクール時代にはバンジョーを弾き作曲をしていたという。...

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ルイ・アームストロングを偲んで〜死を祝う!?ニューオーリンズに伝わる葬儀の風習

1971年7月6日、“サッチモ”の愛称で親しまれたジャズ界の巨人ルイ・アームストロング(享年69)が、ニューヨーク州クイーンズ区にある自宅で永遠の眠りについた。 死因は心筋梗塞とされている。 死の一ヶ月前、ニューヨークのホテルショーに出演した直後に心臓発作を起こし、そのまま病院に運ばれ数週間の入院生活を終えて自宅で静養中だったという。 葬儀は7月9日に自宅近くのコロナ会衆派教会で行われた。...

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少年時代〜藤子不二雄Ⓐによる“幻の歌詞“が存在した!?夏の名曲の誕生秘話

1990年の9月21日にリリースされたこの「少年時代」は、もともと井上陽水が荻野目洋子に提供したシングル曲「ギャラリー」のB面になる予定だったという。 しかし曲を受け渡す直前になって、陽水が「やっぱり自分で歌いたい」ということになり、自身のシングル曲として発表することとなった。 ちなみに荻野目のB面曲は、陽水が当時即興で作った「ON BED」に差し替えられたという。...

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ひこうき雲〜ユーミンの才能を世に知らしめるきっかけとなった“稀代の名曲”の誕生エピソード

僕がユーミンと知り合ったのは、まだ彼女が中学生のころでした。 新宿の『ACB』や池袋の『ドラム』といった都内のジャズ喫茶でよく話をしました。出会ったころのユーミンはショートカットでニキビがいっぱいあって、女性というより、面白い女の子という印象でしたね。 彼女は昔から音楽に詳しくて、立川や横田の米軍基地にあるPX(売店)に入り浸っては海外の最新レコードを仕入れていた。...

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Stars Fell on Alabama〜本当にあった奇蹟のような流星群から生まれた名曲

「東京ブギウギ」「銀座の恋の物語」「ブルーライトヨコハマ」「大阪で生まれた女」「長崎は今日も雨だった」「函館の女」「津軽海峡・冬景色」…などなど、日本では“ご当地ソング”と呼ばれる歌が数多く生まれ、庶民に愛されていた時代があった。 同じようにアメリカにも“ご当地ソング”は存在する。...

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炭坑節が生まれた風景〜Bluesと似たルーツを持つ日本の仕事唄

この炭坑節(たんこうぶし)は、福岡県に伝わる民謡である。 現在の田川市が発祥で「月が出た出た月が出た、ヨイヨイ♪」のフレーズで全国的に知られるようになり、今では盆踊りの定番曲となっている。 この炭坑節、もともとは盆踊りの歌ではなく、座敷唄として歌われるような“春歌”だったともいわれている。 この歌が生まれた背景には一体なにがあったのだろう?...

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PANTA青春時代〜高校生の頃からうろつき始めた新宿、18歳で経験したホリプロのオーディション

「両親は教育熱心だった。子供は大学に行って一流企業に入って…そんな思いが強かった。親戚が役所関係や公務員などお堅い職業ばっかりだったから余計にそういう考えになってたんだと思う。」 親の希望もあって中学受験をしたPANTAは、私立の海城中学(新宿区大久保にある中高一貫制男子校)に通うこととなる。...

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メンフィス・テネシー〜チャック・ベリーが書いた小咄(こばなし)のような歌

様々な街・都市を舞台に紡がれた魅力的な曲をご紹介するコーナー<街の歌>が今回ピックアップするのは“ロックンロールの創始者の一人”と崇められるチャック・ベリーの名曲「Memphis Tennessee」です。 この歌は、1959年にチャック・ベリーが33歳の時に発表したシングル「Back in the USA」のB面曲として発表されたのが初出である。...

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PANTA27歳〜頭脳警察の解散後のソロワーク、そして新バンドPANTA&HALの始動

1975年12月31日、PANTAは頭脳警察を解散させた。 解散の約4ヵ月後には1tsソロアルバム『PANTAX’S WORLD』(1976年4月5日)をリリース。 それはPANTAが所属していたビクターの新レーベル“フライング・ドッグ”からの第1弾として大きな注目を集めていた。 PANTAが26...

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クイーンの名曲「伝説のチャンピオン」

1977年(昭和52年)11月25日、クイーンの「伝説のチャンピオン」(ワーナー・パイオニア)が発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「渚のシンドバッド」/ピンク・レディー 2位「青春時代」/森田公一とトップギャラン 3位「ウォンテッド」/ピンク・レディー 4位「勝手にしやがれ」/沢田研二 5位「昔の名前で出ています」/小林旭...

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沢田研二の「危険なふたり」

1973年(昭和48年)4月21日、沢田研二の6枚目のシングル「危険なふたり」(ポリドールレコード)が発売された。 同年の国内ヒットチャートといえば… 1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ 2位「女のねがい」/宮史郎とぴんからトリオ 3位「学生街の喫茶店」/ガロ 4位「喝采」/ちあきなおみ 5位「危険なふたり」/沢田研二 6位「神田川」/かぐや姫 7位「心の旅」/チューリップ...

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