レミー・キルミスター27歳〜初めて踏んだアメリカの地、L.Aのホテルで書いた楽曲“モーターヘッド”
ヘヴィメタル界の重鎮モーターヘッドのボーカル&ベースを担当し、HR/HMシーンにおけるカリスマ的存在だったレミー・キルミスター。 1945年、彼はイギリスのスタフォードシア州ストークオントレントで生まれ、ウェールズのアングルシー島で育った。 少年時代からライヴ通いし、駆け出し時代のザ・ビートルズのステージを実体験している。...
View Articleジョー・ストラマーの少年時代〜幼少期の音楽体験、人生を変えたローリング・ストーンズの一曲
1952年8月21日、彼はトルコ共和国の首都アンカラで生まれる。 外交官の父と看護師の母の間に生まれた兄弟の次男として誕生した彼には、ジョン・グレアム・メラーという名前が付けられた。 幼い頃、近所のトルコ人の乳母に助けられて育った彼が最初に口にしたのは、トルコ語と英語が混ざった言葉だったという。...
View Article人間の証明のテーマ〜ジョー山中の歌声を世に知らしめた運命の一曲
1975年、角川書店が編集するエンターテインメント小説誌『野性時代』で森村誠一が手掛けた『人間の証明』という作品が連載され大きな注目を集めた。 第3回角川小説賞を受賞したそのベストセラー長編推理小説は、後に映画やテレビドラマが製作され、一般にも広く知れ渡る名作となった。...
View Article尾崎紀世彦の大ヒット曲「また逢う日まで」の誕生エピソード
1971年(昭和46年)3月5日、当時28歳だった尾崎紀世彦の「また逢う日まで」(日本フォノグラム)が発売された。 同年の洋楽/邦楽ヒットソングといえば… 【洋楽】 1位「Joy To The World 」/ スリー・ドッグ・ナイト 2位「Maggie May」/ロッド・スチュワート 3位「It’s Too Late」/キャロル・キング 【邦楽】 1位「わたしの城下町」/小柳ルミ子...
View ArticleすみれSeptember Love〜まさに“新しい波(ニューウェイヴ)”を起こした土屋昌巳の才能と功績
この「すみれ September Love」は、土屋昌巳(当時30歳)率いる一風堂が1982年7月21日に発売した6枚目のシングルである。 当時、最先端のスタイルやトレンドを反映していた化粧品のCMソング(’82カネボウ秋のキャンペーンソング)となり、約45万枚を売り上げるヒット曲となった。...
View ArticleSeptember〜アース・ウィンド・アンド・ファイアーが放ったダンスナンバーの金字塔
覚えてるかい 9月21日の夜のこと 知らんぷりしてた僕らの気持ちを愛が変えたんだ 雲を追い払うようにね バーディヤ 覚えてるかい バーディヤ 9月に踊ったダンスを バーディヤ 雲ひとつない素直な気持ちで 40数年前…夜な夜なディスコで遊んでいた世代にとって、この「September」は“青春時代の代名詞”とも言える曲だという。 アース・ウィンド・アンド・ファイアー(EW &...
View Articleコバルトの季節の中で〜ジュリーが作曲し、稀代の演出家・久世光彦が歌詞を手掛けた“秋の名曲”
数々のヒットソングを放ってきたジュリー。 彼が27歳になる年に唄った「時の過ぎゆくままに」(1975年)は、自身が主演を務めたテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』の挿入歌として大ヒットし、自己最高記録(累計91.6万枚)となる売り上げを叩き出した。 その頃、彼の才能と可能性を最大限に引き出した仕掛人がいたという。 当時TBSの演出家でプロデューサーだった久世光彦。...
View Articleロックギターの“改革者”ジェフ・ベック〜ストーンズからの誘い、そしてビートルズのプロデューサーを迎えて作った名盤
ロックギターの“改革者”ジェフ・ベック(享年78)が、2023年1月10日、英国南東部サリー州の自宅近くの病院で死去した。 死因は細菌性髄膜炎が原因だという。 ジェフはとても変わった男だった。 彼の最大の趣味は車で、特にホットロッドカーに興味があり、車の下に潜り込んでオイルを交換し、体中油だらけになることが最も楽しんでいる時間なんだ。...
View Article二人の友情〜ジョン・レノンの名盤『Rock ’n’Roll』の選曲にミック・ジャガーも関わっていた!?
1960年代、イギリスで誕生したビートルズとローリングストーングは人気を二分しながらもよきライバル関係でもあった。 ミック・ジャガーはジョン・レノンと初めて会った時に、とても謙虚さを感じたことを憶えているという。...
View Articleスティング〜ポリス結成物語
1976年5月1日、スティング(当時24歳)は北アイルランド出身の舞台女優フランシス・トメルティと結婚をする。 二人の出会いはスティングがまだ小学校の国語教師と並行して“ラスト・イグジット”というバンドで活動していた時期だった。 当時スティングは、音楽活動と教師のどちらが本当にやりたいことなのか?日々迷っていたという。 妻フランシスは、そんな夫に助言をした。...
View Article宿命の女、ニコを偲んで…
ジム・モリソン、イギー・ポップ、ブライアン・ジョーンズ、ボブ・ディラン、そしてアラン・ドロン…みんな彼女の恋人だった。 「カヴァーガールの女王」 「アンディ・ウォーホルの静かなスーパースター」 「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのディートリッヒ」 「月の女神」 「パンクのガルボ」 「最後のボヘミアン」 そのすべてが彼女にふさわしい肩書きだった。 彼女の名前はニコ。 本名はクリスタ・ペーフゲン。...
View Articleパーシー・スレッジを偲んで〜希代の名曲「男が女を愛する時」の誕生秘話
ビートルズが初来日し、武道館で行われた歴史的なコンサートに日本中の若者達が熱狂した1966年。 そのコンサートよりも数ヶ月前に、海の向こうのアメリカやカナダの音楽ファンを夢中にさせた名曲があった。 今日はアメリカの黒人歌手パーシー・スレッジ(享年74)の大ヒット曲「When a Man Loves a Woman(男が女を愛する時)」の誕生秘話をご紹介します。 「When a Man Loves...
View Article風〜はしだのりひこが紡いだ珠玉のメロディー
1969年1月、はしだのりひことシューベルツはデビューシングル「風」をリリースした。 フォークミュージックを基調としながらも、普遍的な歌詞の内容とキャッチーなメロディーが大衆にウケて、58万枚を売利上り上げるヒットとなった。...
View Articleジミ・ヘンドリックス最期の言葉〜死の直前、死後の出来事
「世界を変えようなんて思っていない。ストリートをもっと色鮮やかでカラフルにしたいだけなんだ。音楽には二種類ある。人生を反映したブルースと、詞そのものにはあまり意味はないかもしれないけどサウンドに意味のある“日の光”のような音楽だ。」 1970年9月11日金曜日、レコード・ミラー誌の取材でキース・アルトハム(音楽評論家)はジミ・ヘンドリックスにインタビューを行なった。...
View Articleジミヘンがナポレオンジャケット(軍服)を身にまとうようになった理由
1960年代…ビートルズ、ストーンズを始め、英国のロックミュージシャンたちの多くが身に纏っていたミリタリーファッション。 例えばビートルズが『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のアルバムジャケットで着ていたあの衣装。 そしてアメリカからイギリスの渡ってブレイクしたジミ・ヘンドリックスが着ていたあの上着。...
View Article喝采〜ちあきなおみが歌った“悲しみの名曲”の誕生秘話
「喝采」は、歌手・ちあきなおみの13枚目のシングル曲として1972年9月10日に発売された楽曲である。当時25歳だった彼女は、この曲で『第14回日本レコード大賞』の大賞をはじめ、その年の賞という賞を総なめにした。リリースから3ヶ月でのレコード大賞受賞は史上最短記録だった。...
View Article冬が来る前に〜二人の絆と、想い出の坂道
山々が赤や黄色に染まる秋。紅葉の美しさが少しずつ色褪せてゆき…日本には冬の足音が近づいてきます。そして木枯らしが吹く頃に、冬の訪れとなる「立冬」を迎えます。 冬が立つ、という字から何となく意味が推察できそうですが、実のところ立冬にはどのような意味があるのでしょうか?...
View Article襟裳岬〜“何もない春です”と歌われた名曲にまつわる“色々事情あり”な誕生エピソード
「襟裳岬」は、1974年1月5日に森進一(当時26歳)のシングルとしてリリースされた楽曲だ。累計売り上げでは約100万枚を記録しており、森は本作で同年の日本レコード大賞と、日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞した。 森はこの歌のヒットによって新境地開拓きっかけを作り、後の「冬のリヴィエラ」での成功を手にすることとなる。...
View ArticleWoodstock 〜ジョニ・ミッチェルが60年代“最後の夏”に捧げた鎮魂歌
「“自分は行けなかった”という喪失感が、ウッドストックに対する強烈な観点を私に与えてくれたのよ」 当時、あるインタビューでジョニ・ミッチェルが語った言葉である。 神の子に出会った 彼は歩いてどこかへ行く途中 どこに行くのかと尋ねると 彼はこう言った ヤスガー農場に行くんだよ そこでロックンロールバンドに加わり 自然の中でキャンプをして 魂を解放しようと思ってるのさ...
View Articleルート66〜アメリカ文化発祥の“マザーロード(母なる道)”を突っ走れ!
アメリカ合衆国の東西、シカゴからLAサンタモニカを結ぶ全長3755kmの一本道、ルート66。なんと、日本列島の全長約3000kmよりも長い距離だというから驚きだ。1926年に創設された国道66号線が通る地の大半は砂漠地帯で、グランドキャニオンなどの自然遺産も残されている。 いつか君が車で西部に行くんだったら 僕が薦めるこのハイウェイ こいつが一番さ ルート66を突っ走れ!...
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