マヘリア・ジャクソンを偲んで〜浅川マキも心酔したゴスペルの女王
まず…浅川マキが著書に残した言葉をご紹介します。 この体験をした当時、彼女はまだ29歳だったという。 1971年4月、60歳を迎えたゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンが日本(渋谷公会堂)にやって来た。 記者や評論家の質問に対して彼女はこう言った。 「どうか、難しいことは聞かないでください。ただ私の歌を聴いて下さい。」 そしてこう付け加えて笑ったという。...
View Articleクリッシー・ハインド27歳〜ハイスクール時代に描いた夢を10年後に叶えた彼女のロックな履歴書
クリッシー・ハインド。 ロック界の姉御的存在として常に第一線で活躍してきた彼女は27歳で大きな転機を迎え、翌年にプリテンダーズとしてデビューを果たした。 プリテンダーズはイギリスのロンドンで生まれたバンドにも関わらず、彼女自身はアメリカ北部オハイオ州アクロンの出身だ。 彼女は故郷で過ごしたハイスクール時代を振り返りながらこう語ってる。 私は高校生活をおもしろいと感じたことがなかったわ。...
View ArticleWe Are The Worldの舞台裏で…
1984年、マイケル・ジャクソンは名実ともに絶頂期を迎えていた。 当時、彼はテキサス州のがん研究施設から救い出された3歳のチンパンジーを引き取って、どこへ行くときも同行させていた。 “バブルス”と名付けたそのチンパンジーに自分とおそろいの服を着せてパーティーや報道機関向けのイベントに連れて行き、ムーンウォークの踊り方も教え込んだという。...
View ArticleChe sarà・前編〜イタリア移民の不安と希望を哀愁のメロディーに乗せて
この歌は、イタリアの北西部リグリーア州インペリア県にある小さな町で毎年開催されているサンレモ音楽祭で1971年に準優勝を受賞したポップナンバーで、いわゆるカンツォーネ(イタリア民謡)をベースに紡がれた楽曲だ。 タイトルの「Che sarà(ケ・サラ)」という言葉は、日本語に訳すと“どうなってしまうんだろう?”という意味を持つという。...
View ArticleChe sarà・後編〜琴線に触れるイタリアのメロディー、日本人は“超訳”がお好き!?
イタリアでこの歌「Che sarà(ケ・サラ)」が発表された1971年、日本では学生運動や安保闘争の火が燻っていた。 当時、にしむらよしあきが自身の政治思想を基に超訳した歌詞を、権力と闘いながら平和と自由を訴えていた学生達が集会や歌声喫茶などで合唱していたという。 「ケ・サラ」日本語訳:にしむらよしあき 押さえ切れない怒り こらえ切れない悲しみ そんなことのくり返しだけど 決して負けはしないさ...
View Articleウィルコ・ジョンソン27歳〜ロンドンのパブロックシーンを席巻したドクター・フィールグッド
70年代初頭からイギリスのパブロック・シーンを牽引し、後のパンク・ロック・ムーブメントの火付け役となったドクター・フィールグッドから始まり、ソリッド・センダーズ、ザ・ブロックヘッズ、そしてソロ名義での活動と、長いキャリアを通してロックシーンの大きな足跡を残してきたウィルコ・ジョンソン。...
View Articleフニクリ・フニクラ〜あの“鬼のパンツ”の原曲はイタリアで生まれた世界最古のコマーシャルソングだった!
節分(豆まき)のシーズンになると、子供番組や幼稚園で“季節の歌”として唄われる定番曲として愛され続けているこの「鬼のパンツ」。 もともとはNHKの子供向け番組から広まった替え歌である。 原曲は「フニクリ・フニクラ」という、1880年に作曲されたイタリアの大衆歌謡ソング(ナポリ民謡)だったという。...
View Articleシド・ヴィシャスの死〜革ジャンのポケットから発見された直筆の遺書
パンクのアイコン的存在として現代の若者やカルチャーにも影響を与え続けているシド・ヴィシャス。 1979年2月2日、彼は麻薬の過剰摂取によってこの世を去った。享年21。 彼のデビューパフォーマンスとなったセックスピストルズのギグを撮影していたことでも知られる映画監督ドン・レッツは、彼のことをこう回想している。 「シドはいつもトラブルに巻き込まれてた。マヌケだったからな。愛されるバカだったよ…。」...
View Article土曜の夜(Looking for) The Heart of Saturday Night〜70年代初期にトム・ウェイツが描いたアメリカの寂れた裏通り
行き交う車のエンジン音、クラクション、靴音… 夜の街の雑踏に溶け込んでゆくような穏やかなイントロに導かれて、あの“しゃがれ声”が語るように歌い出す。 カワイコちゃんをちょいと口説いて 自慢の車の中でその娘の肩に腕をまわす そんな事を想いながら… 土曜の夜の相手を求めて車を飛ばす 1974年に発表されたトム・ウェイツの2ndアルバム『The Heart Of Saturday...
View Articleカレン・カーペンターを偲んで〜輝かしい活躍の舞台裏で彼女が抱えつづけた“心の闇”とは!?
1983年2月4日、カレン・カーペンターは32歳でこの世を去った。 死因は摂食障害がもたらした心不全だった。 カーペンターズといえば、彼らが活躍した1970年代当時、ホワイトハウスやディズニーランドでの演奏を許された唯一のミュージシャンだった。 ビートルズのポール・マッカートニーは、彼女の歌声とカーペンターズの音楽についてこう賛美している。...
View Article美輪明宏 27歳〜日本初となった“奇跡のリサイタル”その成功までの道
1962年、当時27歳だった美輪明宏(当時・丸山明宏)は“日本初”となる全オリジナル楽曲による自主公演を計画し、その準備のために奔走していた。 そして翌年の11月8日、希代の作曲家・中村八大らの協力により“奇跡のリサイタル”を見事に成功させる。 美輪にとってこの時期こそが、日本の“元祖シンガーソングライター”と呼ばれるようになる、まさにターニングポイントだったといえる。...
View Article20世紀最高峰のメッセージソング「What’s Going on」の誕生秘話
1954年3月から5月にかけてフランス領インドシナ北西部のディエンビエンフーで第一次インドシナ戦争中最大の戦闘があった。 “ディエンビエンフーの戦い”と呼ばれたその戦いは、ベトナム人民軍とフランス軍合わせて約1万人の戦死者を出す。 同戦争の大きな転機となり、フランスはベトナム撤退を余儀なくされることになる。...
View Article山口冨士夫27歳〜村八分解散後、何かを求めて繰り返した自由な旅
稀代のロックアーティスト、山口冨士夫。 彼の名を日本のロック史に永遠に留めることになったのが1970年に結成され1973年に解散した伝説のロックバンド村八分だ。 村八分、ティアドロップスと、数多くのバンドでギターを弾きながら日本のロックカルチャーを作ってきた彼は27歳の頃にどんな日々を送っていたのだろう?...
View ArticleHARRY(ザ・ストリート・スライダース)27歳〜その音楽ルーツ、作曲スタイル、日本語で歌うことへのこだわり
HARRYこと村越弘明は、1980年代〜90年代の日本のロックシーンにおいて大きな足跡を残した伝説の4人組THE STREET SLIDERS(ザ・ストリート・スライダーズ)のヴォーカル&ギターであり、バンドにおいて大半の楽曲を作詞作曲した男だ。 彼は27歳の時に、ある意味バンドの黄金期とも言えるブレイクポイントを迎え、初の武道館公演“天国と地獄”を目前にしていた。 12inchシングル「Back...
View Articleキャロル・キングとジェリー・ゴフィン〜運命の糸に引き寄せられた二人の出会い
キャロル・キングとジェリー・ゴフィンと言えば… 夫婦として、そして作曲家・作詞家として「Will You Love Me Tomorrow」や「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」などの名曲を生み出し、その後も全米チャートに多くの作品を送り込んだ名コンビである。 キャロル・キングにとってジェリー・ゴフィンは初恋の人だったという。...
View Article沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲
日本を代表する歌手、沢田研二。 彼はザ・タイガースでデビューした19歳から現在に至るまでの約50年間、毎年欠かすことなくレコーディングし、作品を発表し、ツアーを行ってきた。 この実績は、日本はおろか海外でも類を見ない偉業といえるだろう。 還暦を過ぎて“言いたいこと”を歌うスタイルをより濃く打ち出しながら現在もコンサートを中心とした活動を続けている。...
View Article萩原健一27歳〜ドラマや映画での大活躍を経て、新たに音楽活動を再開させた転換期
唯一無二の個性を持った俳優/シンガーとして愛されている男、萩原健一。 “ショーケン”の愛称で親しまれている彼は、16歳の頃に地元の埼玉県でスカウトされて、当時に人気グループだったザ・スパイダースの弟分的なバンドだったザ・テンプターズのボーカリストとしてデビューを果たす。 「神様お願い!」「エメラルドの伝説」などヒット曲を連発し、その個性的な歌声とカリスマ的な魅力を武器に人気を集めていた。...
View ArticleMy Funny Valentine〜聖バレンタインデーに聴く珠玉のスタンダードとビリー・ジョエルの名曲
2月14日はSt. Valentine’s dayです♪ 今日はバレンタインデーにちなんで「My Funny Valentine」をご紹介します。 我が国では“チョコレートの日”のような定例行事になっていますが…もともと聖バレンタインデーと云えば、キリスト教の聖職者の死を悼む宗教的行事だったことをお忘れなく。 由来や起源については【日本チョコレート・ココア協会】のページをご覧下さい。 ■St....
View Articleチョコレートの歌〜清志郎とチャボの出会い〜
チョコレートから始まった出会い…そして“特別な再会” 1970年代になってすぐに、二人は渋谷の音楽喫茶『青い森』で出会う。 程なくして、チャボは実に多忙な日々を過ごす事となる。 それまでバンド形体として活動していた古井戸が、フォークデュオとしてメジャーデビューし、苦手なTV番組などにも引っ張り出されながら全国を駆け回ったのだ。...
View Articleロビー・ロバートソン27歳〜同い歳だったジャニス・ジョプリンの訃報を聞いた日
ロビー・ロバートソン。 ユダヤ人の父とインディアン母を持つ彼は、カナダで生まれたという。 1960年代に音楽仲間たちとロック歌手ロニー・ホーキンスのバックバンドで腕を磨き、その後レヴォン&ザ・ホークスを結成する。 1966年、彼らはボブ・ディランのワールドツアーでバックバンドを務めることとなる。 1968年に“ザ・バンド”と改名し、デビューアルバム『Music From Big...
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