四月になれば彼女は〜ポール・サイモンのセンスが光る2分足らずの秀作
この「April Come She Will(四月になれば彼女は)」は、サイモン&ガーファンクルの2ndアルバム『Sounds of Silence』(1966年)に収録された楽曲だ。 ダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』(1967年)の挿入歌としても有名なイギリスの伝統的バラード「Scarborough Fair」のB面としてシングルカットされ話題となった。...
View Article夢のカリフォルニア〜ママス&パパスの名曲にまつわる時代背景と誕生秘話
「California Dreamin’」/ママス&パパス 木の葉はみんな枯葉色、そして空はどんより鉛色 そんな冬の日、僕は散歩していたんだ もしロスにいれば気持ちが安らぎ暖かいのに… こんな冬の日にはカリフォルニアを夢見るよ 1965年のこと。...
View Articleサラ・ヴォーンを偲んで〜天才歌手の足跡と、ちょっと素敵なララバイ(子守唄)エピソード
1990年4月3日、天才歌手サラ・ヴォーンの訃報が伝えられ、多くの音楽ファンがその死を惜しんだ。 彼女はその生涯を通じて、歌と共に酒も煙草も豪快に楽しんだというが…最期は末期の肺癌に冒され、ロサンゼルス市内の病院にて66年間の生涯に幕を降ろすこととなった。...
View Articleテクノポップを全世界に広めたYMOが武道館で“散開”した日
シンセサイザー、シーケンサー、ヴォコーダーなどの電子楽器を使ったテクノポップを生み出して、“メイド・イン・ジャパン”のポップスを世界中に知らしめたYMO。 この“Yellow Magic Orchestra (イエロー・マジック・オーケストラ)”という名称は、リーダーの細野晴臣が70年代後半に提唱していたコンセプトである「イエローマジック」が由来だという。...
View Article「スペイン革のブーツ」と「木綿のハンカチーフ」
ボブ・ディランと太田裕美。 ローリング・ストーン誌が選ぶ“歴史上最も偉大な100人のソングライター”において第1位となった男と、1976年に日本で(山口百恵をおさえて!)最も活躍した女性アイドルとの間に“ちょっと面白い話”があるという。 1964年、ボブ・ディランが23歳の時にリリースした3作目のスタジオアルバム『The Times They Are...
View Article誰も知らない〜アメリカの禁酒法時代を背景に書かれた“落ちぶれた男の唄”
誰も知らない…お前のことなんか憶えちゃいないさ 誰一人な!誰も憶えちゃないぜ! 人間、落ちぶれた果てたときには独りぼっちってことよ… 人間、落ちぶれた果てたときこそが肝心ってことさ! この「誰も知らない(Nobody Knows You When You’re Down and Out)」は、ブルースのスタンダードナンバーとして長く愛されてきた名曲だ。...
View Article女性アーティストたちの才能が開花した70年代
ジョニ・ミッチェル、リンダ・ロンシュタット、カーリー・サイモン、キャロル・キング、エミルー・ハリス、ボニー・レイット、オリビア・ニュートンジョン、ホイットニー・ヒューストンなどなど。 彼女たちは皆、1970年代のミュージックシーンにおいてその才能を開花させた女性アーティストである。 ──それは1970年8月の出来事だった。...
View Article雨あがりの夜空に
♪「雨あがりの夜空に」/RCサクセション 1970年代の終わり。 RCサクセションは、フォークグループからロックバンドへと変貌を遂げようとしていた。 この楽曲は、当時、忌野清志郎が乗っていたオンボロ自動車(日産サニー)が雨で壊れてしまった事と、女の子の事をダブルミーニングで歌いあげた“日本のロック史上で最も偉大な一曲”である。...
View Articleボブ・ディランとジョーン・バエズ〜グリニッジ・ヴィレッジで出会った二人の恋物語
1950年代末から1960年代初頭、ボブ・ディランは社会の激動と共に転機を迎える。 生まれ育ったミネソタからニューヨークへと身を移し、当時プロテストソングの先駆者として活躍していたアーティスト達から新たな刺激を受ける。 ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ジャック・エリオット、オデッタ、デイヴ・ヴァン・ロンクなどなど、ディランは彼らの歌や生き方から多くのものを学ぶ。...
View Articleボビーに捧げる歌
♪「Song to Bobby」/キャット・パワー ♪「Song to Woody」/ウッディ・ガスリー 「ボビー」 ボブ・ディランのことをそう呼ぶのは、元恋人ジョーン・バエズだけだ。 そんなボビーに憧れ「この心はあなたのことでいっぱいなの」と、歌にした女性シンガ・ーソングライターがいる。 彼女の名は“キャット・パワー”ことショーン・マーシャル。...
View Article百万本のバラ〜その原曲“マーラが与えた人生”を生んだラトビアの悲劇の歴史
一般的に古いロシア民謡のように思われているこの「百万本のバラ」は、実はそうではないという。 北ヨーロッパの共和制国家ラトビアの歌謡曲『Dāvāja Māriņa』(マーラが与えた人生)が原曲なのだ。 後にラトビアの文化大臣にもなった音楽家ライモンド・パウルスがソ連統治時代に作曲したものだ。 歌詞は、ラトビア人の愛国詩人レオン・ブリディスが書いた詩をベースにしたもの。...
View Articleスローなブギにしてくれ〜気弱で強がりなハードボイルドの世界観を見事に仕立て上げた南佳孝と松本隆の手腕
この南佳孝が作曲した「スローなブギにしてくれ(I want you)」は1981年1月21日にリリースされた。 作詞はこの当時からヒットメーカー(作詞家)として快進撃を始めていた松本隆。 その春に公開された片岡義男の小説を原作とした同名の角川映画『スローなブギにしてくれ』(浅野温子主演)の主題歌として起用され累計枚数40万枚を超える大ヒットとなった。...
View Articleロックバルーンは99〜ドイツ語の反戦歌が世界のチャートを席巻!?80’sを代表するヒットソングはこうして生まれた
私に時間をくれるなら あなたのために歌ってあげるわ 水平線の彼方へ飛んで行った99個の風船の歌をね あなたは今私のこと考えている? じゃ歌ってあげるわ!99個の風船の歌を 何がどうしてどうなったかをね この「99 Luftballons(ロックバルーンは99)」は、1983年に西ドイツのロックバンドNena(ネーナ)が発表した楽曲で、MTV...
View Articleミロール〜売春宿で育った伝説のシャンソン歌手エディット・ピアフの代表曲
この「ミロール」は、伝説のシャンソン歌手エディット・ピアフが1959年に歌いヒットさせたもの。 ミロール(Milord)とは英語My Lord をフランス語風に言い換えた言葉で、もともとは英国の貴族などに対する敬称だった。 いわゆる金持ちの紳士を指す“客への呼びかけの言葉”として使われており“旦那”といった意味(ニュアンス)が近いという。 この歌はそんな紳士=旦那に声をかける娼婦の歌。...
View Articleヤードバーズの運命を変えた曲〜3大ギタリストを輩出したバンドの創成期
「世界には掛け値なしに素晴らしいバンドが4つある。ヤードバーズはそのうちの1つだ。」 ヤードバーズをはじめ、T・レックス、ジャパン、ワム!を渡り歩いてきた“大物マネージャー”としてしられる男サイモン・ネイピア=ベルは、自身の自伝でこう断言している。 イギリスのアーティストを中心にマネージメントしてきた彼の言葉なので、そこにはアメリカのバンドはきっと含まれていないのだろう。...
View Articleヤードバーズの運命を変えた曲〜エリック・クラプトンの脱退と引き換えにバンドが掴んだものとは?
ヤードバーズの3rdシングルとして初代マネージャー兼プロデューサーのジョルジオ・ゴメルスキーが用意したのは、ストーンズの不良性とビートルズの親しみやすさを掛け合わせたような「For Your Love」というポップナンバーだった。 この楽曲を作ったのは、60年代のブリティッシュ・ポップ界で活躍していたソングライター、グレアム・グールドマンという男である。...
View ArticleI’ve Got Life!私は生きている!〜伝説の歌手ニーナ・シモン
「Ain’t Got No…I’ve Got Life」/ニーナ・シモン 私には家がない 靴もない 金もなければ 品もない 土地もなければ 信じるものもない 頼る教会もないし 祈る神もいない じゃあ、私には何があるの? 私には何があるのか教えて 私はなんで生きてるの? 時代を超えて人々を惹きつけて止まないニーナ・シモン。...
View ArticleWe Are The World〜チャリティソングの金字塔となった歌
それはMTV全盛期と言われた80年代中頃の出来事だった。 ──1984年の12月24日にボブ・ゲルドフ(ブームタウンラッツ)とミッジ・ユーロ(ウルトラボックス)の呼びかけで、アフリカの飢餓と貧困を解消する目的で作られた歌「Do They Know It’s Christmas?」が発表され“バンド・エイド”というチャリティーキャンペーンが大きな成功を収めた。...
View Article沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲
日本を代表する歌手、沢田研二。 彼はザ・タイガースでデビューした19歳から現在に至るまでの50年以上、毎年欠かすことなくレコーディングし、作品を発表し、ツアーを行ってきた。 この実績は、日本はおろか海外でも類を見ない偉業といえるだろう。 還暦を過ぎて“言いたいこと”を歌うスタイルをより濃く打ち出しながら現在もコンサートを中心とした活動を続けている。...
View Article多摩蘭坂〜RCサクセションの名曲に耳を傾けながら
その坂の名前は「たまらん坂」という。 RCサクセションの忌野清志郎は国立〜国分寺育ちで、ミュージシャンとして活動を初めてからも、この界隈にアパートを借りて住んでいた。 RCサクセションが5人編成のロックバンドとなって3枚目にリリースしたアルバム『BLUE』(1981年)に、当て字で「多摩蘭坂」というタイトルの曲を収録したことで、多くのファンが訪れるようになる。...
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