ぼくの好きな先生〜高校生時代の忌野清志郎が慕った美術部顧問の教師
「ぼくの好きな先生」は、RCサクセションの記念すべき1stアルバム『初期のRCサクセション』からのシングルカット曲として1972年2月5日、アルバムと同日にリリースされた。 RCの黎明期、つまり忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチの3人編成によるフォークトリオの時代の作品である。...
View Article若者達に捧げられた歌〜すべて時代のせいにして
♪「すべて時代のせいにして」/泉谷しげるwith 藤沼伸一(TV番組スタジオLIVE) 若いときはすべてが他人(ひと)のせい こうなってしまったのも親のせい ひきこもるのも社会のせい 誰を憎んで何を消し去る 泉谷しげると云えば、1970年代に沸き起こった日本のフォークブームの中で小室等、井上陽水、吉田拓郎等と肩を並べる存在だった。...
View Articleニコ27歳〜ブライアン・ジョーンズが参加したデビューシングル、そしてアンディ・ウォーホルとの出会い
ニコ…本名はクリスタ・ペーフゲン。 彼女は生まれながらの嘘つきだった。 幼い頃からたくさんの嘘をついていたという。 彼女はそれを“お話”と呼んでいた。 その嘘は大人達から“ロマンティックな夢想”と呼ばれ、笑顔で見逃されていた。 友人達は皆、その“ちょっと変わった癖”を許した。 両親がロシア人なのか?それともロシアとトルコのハーフなのか?ロシアとポーランドとドイツとトルコのクオーターなのか?...
View Articleジミ・ヘンドリックス最期の言葉〜死の直前、死後の出来事
「世界を変えようなんて思っていない。ストリートをもっと色鮮やかでカラフルにしたいだけなんだ。音楽には二種類ある。人生を反映したブルースと、詞そのものにはあまり意味はないかもしれないけどサウンドに意味のある“日の光”のような音楽だ。」 1970年9月11日金曜日、レコード・ミラー誌の取材でキース・アルトハム(音楽評論家)はジミ・ヘンドリクスにインタビューを行なった。...
View Articleジミヘンがナポレオンジャケット(軍服)を身にまとうようになった理由
1960年代…ビートルズ、ストーンズを始め、英国のロックミュージシャンたちの多くが身に纏っていたミリタリーファッション。 例えばビートルズが『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のアルバムジャケットで着ていたあの衣装。 そしてアメリカからイギリスの渡ってブレイクしたジミ・ヘンドリックスが着ていたあの上着。...
View Articleデヴィッド・ボウイを偲んで~センセーションとクリエイションを極めた男
2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが旅立った。 日本時間では、1月11日15時30分に更新されたFacebookの公式アカウントで「18ヶ月におよぶ癌との勇敢な闘いの末、家族に見守られながら静かに死去しました」と告知された。 ボウイは1月8日、69歳の誕生日に通算25作目となるニュー・アルバム『★(Blackstar)』をリリースして、最新のミュージックビデオも公開されたばかりだった。...
View Articleデヴィッド・ボウイ 死を迎えるまでの日々
2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが旅立った。 彼はその二日前の1月8日、69歳の誕生日に最新シングル「Lazarus」のミュージックビデオを公開したばかりだった。 同時発売されたアルバム『★(Blackstar)』は、発売一週目で14万6千枚(UK)18万1千枚(US)を売り上げ、「Lazarus」の動画はダウンロード数1千7百万に達した。 なんというタイミングなのだろう…...
View Articleロッド・スチュワート27歳〜True Blueに込めた自信と自嘲
1972年、ロッド・スチュワートはフェイセズに加入して3年目を迎えた。 1月10日生まれのロッドは、年明け早々に27歳になった。 当時、フェイセズは2ndアルバム『Long Player』のセールスを着実に上昇させながらアメリカツアーを終え、イギリスに戻ってきたばかりだった。 その頃のフェイセズの人気といえば、アメリカの2万席あるスタジアム公演が、ほんの数日間で売り切れるほどの人気だった。...
View Article生きる勇気をくれる歌
♪「RUNNER」/山部“YAMAZEN”善次郎 空を見上げれば輝く太陽 肩を落とした影が小さく見える 何処までも続くこの道は 愛するお前の住んでる街まで続く <photo by chiyori> 「ストレンジな世界。山善と一緒にいると全てが映画みたいになってしまうんですね。」 日本屈指のロックベーシスト、穴井仁吉氏(TH...
View Articleダニー・ハサウェイを偲んで〜事故死だったのか?自殺だったのか?その栄光の裏で彼が苦悩しみ続けたものとは?
ダニー・ハサウェイを語るのに多くの言葉はいらない。 1970年、キャロル・キングは彼のデビューアルバム『Everything Is Evrything(新しきソウルの光と道)』を、親友であるジェイムス・テイラーやルー・アドラーなどに贈って「よく聴くように」と勧めていた。 また、アレサ・フランクリンとレイ・チャールズは“フィルモアウエスト”の舞台裏でダニーの話に花を咲かせていたという。...
View Articleぼくたちの失敗・森田童子〜引退から10年後に突如として注目を集めた謎のカリスマ歌手
春の木漏れ日の中で 君の優しさに埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね 森田童子。 彼女は、人前ではサングラスを決して外さなかったといわれている。 本名も素顔もすべて謎のアーティストである。 公表しているパーソナルデータといえば…1952年1月15日に東京都で生まれたということくらいだ。...
View Articleルーファス・トーマスを偲んで〜底抜けに明るいキャラクターでメンフィスを元気にした男の功績と軌跡
2001年12月15日、“The world’s oldest teenager(世界で一番歳を取った十代)”と呼ばれた人気黒人歌手ルーファス・トーマス(享年84)がテネシー州メンフィスの病院で静かに息を引き取った。 亡くなる3年前に心臓の手術を受けており、死因は心臓の衰弱からくる心不全と発表された。 ユーモラスな歌とダンスが特徴の「Walking The Dog」「Do The Funky...
View Articleジェリー・マリガンを偲んで〜バリトンサックスを相棒に“ジャズ人生”を見事に全うした男の足跡
作家の村上春樹は著書の中でジェリー・マリガンについてこんな風に綴っている。 たしかレコードジャケットの写真で最初に彼の姿を目にしたとき、なんだかひどく眩しく感じたことを憶えている。 金髪をクールカットにした長身の青年──アイヴィースーツをばっちり着こなし、白いボタンダウンシャツに、黒の細身のニットタイという格好だった。 どことなく頑固そうな角張った顎と、若々しい淡いブルーの瞳。...
View ArticleMr.ボー・ジャングルス〜サミー・デイヴィスJr.が実在した伝説のタップダンサーの姿を重ねながら歌った名曲
歌、ダンス、モノマネ、巧みなトーク、そしてトランペット、ドラム、ビブラフォンの演奏、映画やテレビでの演技など、様々な“芸”を極め「Mr.エンターテインメント」と称されたサミー・デイヴィスJr.。 1990年5月16日、彼は喉頭癌を患い64歳でこの世を去った。 そんな彼が40代からこの世を去るまでの約20年間、ステージで大切に歌った“一曲”がある。 その曲の名は『Mr.ボー・ジャングルス』。...
View ArticleDanny Boy〜アイルランドで生まれた珠玉のメロディーに込められた平和への願い
アイルランドの北西部に位置する港町、ロンドンデリーには“アイリッシュ”と呼ばれるケルト人の子孫が多く暮しているという。 この町名、350年ほど前までは単に“デリー”だった。 1618年に、この地に勢力をのばしたジェームズ一世がロンドンの名を冠にして“ロンドンデリー”と呼ばせるようにしたという。...
View ArticleLuka〜スザンヌ・ヴェガが紡いだ幼児虐待をテーマにした名曲
2016年4月21日に急逝したプリンス。 彼の訃報を受けて、各界から悲しみの声と哀悼の言葉多く寄せられる中、スザンヌ・ヴェガが「プリンスからの手紙を見つけたわ」とツイートし手紙を写した写真を投稿した。 その手紙には“最愛のスザンヌへ”としつつ、こんな言葉が綴られていた。...
View Article受験生ブルース〜日本のフォークソングの源流を創った男、高石ともやの偉大な足跡
この歌の原作者は中川五郎。 訳詞家としてボブ・ディランのすべての楽曲の歌詞を翻訳しているほか、フォークシンガー、翻訳家、小説家としても活動する人物だ。 かつて“関西プロテストフォークの旗手”といわれた彼がこの歌を創作したのは1967年(当時18歳・高校3年生)だった。...
View Articleプロコル・ハルムの名曲「青い影」にまつわるいくつかの逸話
ビートルズが伝説の名盤『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を発表した1967年、同じイギリスで一曲の名曲が誕生した。 ゆったりとしたスケールの大きなメロディーと、印象的なオルガンのフレーズは、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないだろうか? 日本では一般的に「青い影」のタイトルで知られているこの「A Whiter Shade of...
View Articleジミ・ヘンドリックスのFirst Step〜たった5ドルの中古エレキギター、陸軍時代に出会った相棒ビリー・コックス
ジミがエレキギターと出会ったのは12歳だった。 友達の影響でB.B.キングやエルモア・ジェイムスといったブルースを耳にするようになり、当時アメリカ中の若者を熱狂させていたエルヴィス・プレスリーに夢中になっていた時期だった。 ギターを持っていた友人の家に集まり、みんながカードゲームで盛り上がっている時間に、ジミはそっとギターを玄関ポーチに持ち出していじくっていたという。...
View Articleひこうき雲〜ユーミンの才能を世に知らしめるきっかけとなった“稀代の名曲”の誕生エピソード
僕がユーミンと知り合ったのは、まだ彼女が中学生のころでした。 新宿の『ACB』や池袋の『ドラム』といった都内のジャズ喫茶でよく話をしました。出会ったころのユーミンはショートカットでニキビがいっぱいあって、女性というより、面白い女の子という印象でしたね。 彼女は昔から音楽に詳しくて、立川や横田の米軍基地にあるPX(売店)に入り浸っては海外の最新レコードを仕入れていた。...
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