スコット・マッケンジーを偲んで〜フラワームーブメントを象徴する名曲を歌った男
2012年8月18日、アメリカのシンガーソングライター、スコット・マッケンジー(享年73)がロサンゼルスの自宅で死去した。 難病のギラン・バレー症候群を患い、入退院を繰り返していたという。 1967年、彼は「San Francisco(Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)邦題:花のサンフランシスコ」のヒットによって一躍“時の人”となる。...
View ArticleWoodstock 〜ジョニ・ミッチェルが60年代“最後の夏”に捧げた鎮魂歌
神の子に出会った 彼は歩いてどこかへ行く途中 どこに行くのかと尋ねると 彼はこう言った ヤスガー農場に行くんだよ そこでロックンロールバンドに加わり 自然の中でキャンプをして 魂を解放しようと思ってるのさ 「“自分は行けなかった”という喪失感が、ウッドストックに対する強烈な観点を私に与えてくれたのよ」 当時、あるインタビューでジョニ・ミッチェルが語った言葉である。...
View Articleコートニー・ラヴ27歳〜運命の愛、宿命の死
これを一緒に乗り越えて生きてくれたら あんたのために死んでもいいわ あたしとこれを乗り越えてくれたら あんたのために死ねると誓うわ ♪「Asking For It」/ホールfeat. カート・コバーン 1994年4月1日。 カート・コバーンは、妻のコートニー・ラヴに一本の電話をかけた。 「忘れないでくれ、これから何が起こっても俺はお前を愛している」...
View Articleジョー・ペリー27歳〜初めての日本公演、“金のなる木”になったバンド、パンクに刺激を受けて
「あの頃は金がザクザク入ってきてたよ。欲しいものがあるときは、マネージャーに電話すればすぐにキャッシュがドーンと積まれる。俺達は全速力で突っ走っていた。エアロスミスは“金のなる木”だった。世界中のメジャーなコンサート会場を満杯にしていたからな。」 1971年、当時21歳だったジョー・ペリーは2歳年上のスティーヴン・タイラーらと共にエアロスミスを結成する。...
View Article喝采〜ちあきなおみが歌った“悲しみの名曲”の誕生秘話
いつものように 幕があき 恋の歌うたう私に 届いた報(しら)せは 黒いふちどりが ありました 「喝采」は、歌手・ちあきなおみの13枚目のシングル曲として1972年9月10日に発売された楽曲である。 当時25歳だった彼女は、この曲で『第14回日本レコード大賞』の大賞をはじめ、その年の賞という賞を総なめにした。 リリースから3ヶ月でのレコード大賞受賞は史上最短記録だったという。...
View Articleデヴィッド・ボウイの「スターマン」が日本で発売された日
1972年(昭和47年)8月25日、デヴィッド・ボウイの「スターマン」(ビクター)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「女のみち」/宮史郎とぴんからトリオ 2位「瀬戸の花嫁」/小柳ルミ子 3位「さよならをするために」/ビリーバンバン...
View Article愛のファンタジー〜アラフィフ世代が思わず“胸キュン”してしまう珠玉の旋律
1980年、クロード・ピノトー監督によるフランンス映画『ラ・ブーム』が公開された。 本国のフランスでは入場者数400万人を超える大ヒットを記録し、“社会現象”とも云われる作品となった。...
View Articleララ・アンデルセンを偲んで〜戦火の下、敵味方を超えて愛された「リリー・マルレーン」の歌物語
1938年に作曲されたドイツの歌謡曲が、一人の女性の運命を変えた。 ララ・アンデルセン。 彼女は、第二次世界大戦中に「リリー・マルレーン」という曲を歌って世界的に注目を浴びた歌手・女優である。 1972年8月29日、彼女はオーストリアのウィーンで静かに息を引き取ったという。 死因は心臓発作(一説では肝臓癌)とされている。享年67。...
View Articleジョン・レノンとポール・マッカートニー〜運命的な出会い、最強作曲コンビの誕生
「僕はクオリーメンというバンドを持っていた。僕がボーカルでリーダーだった。ポールに会ったとき、彼をバンドに入れるか入れないか?迷ったんだ。ポールを入れて強力なバンドにする方がいいのか?僕一人で引っ張っていく方がいいのか?結論は“ポールを入れる”だった。僕一人でやっていくより、彼と組んで最強のバンドを目指そう!力を合わせよう!と思ったんだ。」(ジョン・レノン)...
View Article謎の?!地名にまつわるブルース〜Sweet Home Chicago
♪「Sweet Home Chicago」/ロバート・ジョンソン 1937年にロバート・ジョンソンが発表した「Sweet Home Chicago」という歌がある。 ちょっとブルースを聴きかじったことがある人なら、たいがい演奏したことのある“最も有名なブルースナンバー”の一つだ。...
View ArticleAlison〜ウディ・アレンの映画のような傑作ラブソング
エルヴィス・コステロ。 彼の本名はデクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナスという。 1954年8月25日、ロンドンで生まれた彼のステージネームは、憧れのエルヴィス・プレスリーと父方の祖母の旧姓に由来している。 彼の血統(ルーツ)でもあるコステロの姓は、アイルランド系に多い苗字。...
View Article手紙〜親愛なる子供たちへ〜“老い”をテーマにした感動の名曲はこうして生まれた
この「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」は、熊本県出身のシンガーソングライター樋口了一の15thシングルとして2008年に発表された楽曲である。 その歌詞の内容が大きな反響を呼び、翌年の日本レコード大賞優秀作品賞と日本有線大賞有線音楽優秀賞を受賞している。 クレジットには原作詞:不詳、訳詞:角智織(すみともお)、補足詞・作曲:樋口了一と記されているが…この名曲には少し変わった誕生エピソードがあるという。...
View ArticleSeptember〜アース・ウィンド・アンド・ファイアーが放ったダンスナンバーの金字塔
覚えてるかい 9月21日の夜のこと 知らんぷりしてた僕らの気持ちを愛が変えたんだ 雲を追い払うようにね バーディヤ 覚えてるかい バーディヤ 9月に踊ったダンスを バーディヤ 雲ひとつない素直な気持ちで 三十数年前…夜な夜なディスコで遊んでいた世代にとって、この「September」は“青春時代の代名詞”とも言える曲だという。 アース・ウィンド・アンド・ファイアー(EW &...
View ArticleすみれSeptember Love〜まさに“新しい波(ニューウェイヴ)”を起こした土屋昌巳の才能と功績
この「すみれ September Love」は、土屋昌巳(当時30歳)率いる一風堂が1982年7月21日に発売した6枚目のシングルである。 当時、最先端のスタイルやトレンドを反映していた化粧品のCMソング(’82カネボウ秋のキャンペーンソング)となり、約45万枚を売り上げるヒット曲となった。...
View Articleコバルトの季節の中で〜ジュリーが作曲し、稀代の演出家・久世光彦が歌詞を手掛けた“秋の名曲”
数々のヒットソングを放ってきたジュリー。 彼が27歳になる年に唄った「時の過ぎゆくままに」(1975年)は、自身が主演を務めたテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』の挿入歌として大ヒットし、自己最高記録(累計91.6万枚)となる売り上げを叩き出した。 その頃、彼の才能と可能性を最大限に引き出した仕掛人がいたという。 当時TBSの演出家でプロデューサーだった久世光彦。...
View Articleビートルズの「The Long And Winding Road」が日本で発売された日
1970年(昭和45年)9月5日、ビートルズの「The Long And Winding Road」(東芝音工)が日本で発売された。 同年の国内ヒットソングといえば… 1位「黒ネコのタンゴ」/皆川おさむ 2位「ドリフのズンドコ節」/ザ・ドリフターズ 3位「圭子の夢は夜ひらく」/藤圭子...
View Articleジョシュ・ホワイトを偲んで〜運命を変えた“1つ”のミートボール
1969年9月6日、ニューヨーク州ナッソー郡マンハセットにあるノース・ショア病院でジョシュ・ホワイトが亡くなった。享年55。 心臓弁置換手術の最中に、手術台の上で息を引き取ったという。 晩年、心臓疾患に悩まされていた彼は、この日、3度目の手術を受けていた。 ニューヨークを本拠地にしていた彼は、シンガーソングライター、ギタリスト、俳優、社会活動家として活躍した多才なアーティストだった。...
View Articleリッキー・リー・ジョーンズとトム・ウェイツの恋物語
彼女がトム・ウェイツと出会ったのは1977年、22歳のときだった。 歌手としての成功を夢見てナイトクラブやコーヒーショップなどで歌っていた頃。 19歳で家出をしてロサンゼルスへやってきた彼女は、当時住む家もないまま友人のアパートなどを転々としながらウェイトレスとして働いて生計を立てていた。 そんなある日、ロサンゼルスでも有名なクラブ、トルヴァドールで歌うチャンスを得る。...
View Article銀座カンカン娘・前編〜昭和の人気女優の光と影、そして幻となった歌詞
「銀座カンカン娘」/高峰秀子(SP盤) 日本随一の繁華街、銀座。 戦後復興と共に歩んだ昭和の時代…この街を舞台に、数々の歌が生まれた。 「銀座カンカン娘」は1949年(昭和24年)、すなわち終戦の4年後につくられた同名の映画の主題歌として主演女優の高峰秀子(たかみねひでこ)が歌った曲である。 美空ひばりから井上陽水まで、ジャンルを問わず数多のシンガー達がカヴァーしてきた昭和の名曲だ。...
View Article銀座カンカン娘・後編〜戦後の売春婦、そして日本随一の繁華街の歴史
この歌は1949年(昭和24年)、すなわち終戦の4年後に山本嘉次郎監督がつくった映画『銀座カンカン娘』の主題歌として女優・高峰秀子が歌った昭和を代表する名曲だ。 タイトルにもなっている何とも不思議な言葉「カンカン」とは、山本監督の造語であり、当時の売春婦の蔑称「パンパン」に対して「カンカンに怒っている」という意味が込められているのだという。...
View Article